下記の元プロ野球外国人を知ってますか? 1975年 東映にいたあのけんかラーカーはいまどうしてる?中日にいたマーシャルは? 日本のプロ野球がスタートして間もなく四十年、この間、約二百五十人の助っ人がアメリカからやってきているが、意外に知られていないのが、その後の消息。成功者あり、さびしく死んで行ったものあり、帰国後はまちまちだが、日本を去ったあとを追ってみると・・・。 「もう日本では二度とプレーしたくない」と、ことし近鉄をクビになったアンドリウスが帰国後あちこちでグチをもらしている。しかし、こんな例はごくまれ、ほとんどの選手が、帰国後も日本での生活をなつかしがり、チャンスがあればまた再来日したいという希望を持っている。昨年太平洋に入り、わずか1試合で故障した巨漢ハワード。帰国したあとも「日本でプレーしたい」とあちこちのコネを願ったが引き受けてなし。このほど3Aスポーケンの監督に就任した。帰国後の出世ナンバーワンは、ブリュワーズの副会長になったジム・バーマ(元西鉄内野手)。ブ軍にはゼネラル・マネジャーのポストがないため、事実上のゼネラル・マネということになる。友というのはありがたいもの。西鉄時代の同僚ロイは、バーマの推せんでブ軍のマイナー、A級の監督をやっている。大リーグの監督になたのは元中日のジム・マーシャル。現在カブスで指揮をまかされ、二度もパ・リーグの首位打者になった元西鉄のブルームをコーチに迎えている。ブルームは日本にいたころオツムが寂しかったのに今は黒々、フサフサ。どうやらカツラのお世話になっているらしい。今季ワールド・シリーズでレッズに惜敗したレッドソックスの三塁コーチが東映にいたドン・ジマー。一昨年までパドレスの監督だったが、日本式。トックンを採用したのが裏目に出てクビがとび、いまはコーチに甘んじている。中日にいたドン・ニューカムは同じ球界復帰でも背広のフロント組。古巣ドジャースに戻り、広報、プレス関係をあつかう職についている。変わりダネは名遊撃手として南海入りして期待を裏切ったジョニー・ローガン。ミルウォーキーに帰り、ウデがなくノドを生かしてブリュワーズ担当のアナウンサーだ。野球界とすっかり手を切った選手も多い。こちらの方の変わりダネは元阪急の投手だったフレッド・リック。日本で覚えた味覚を生かし、故郷ワシントンで開いた天ぷら屋が大受け。りっぱな経営者におさまっている。東映で人気があったラーカーは、かの有名なルート66を昼夜の別なく吹っ飛ばす長距離トラックの運転手。ハンサムで人気のあった同じ東映のボブ・クリスチャンは、二年前、二十九歳の若さで死んでいる。さて、いまいる助っ人来年やってくる新顔たちは・・・。