匿名さん
元近鉄のミケンズ投手を知ってますか? 1959年 九回表一死二、三塁のピンチに近鉄ミケンズ投手が初登板した。
マウンドへ上がったミケンズは、ウォーミング・アップ予定の8球より少ない5球を軽く投げただけで「OK」と球審をうながす。
これには出川球審もニガ笑い。
この日は打者三人で投球数は7。
ミケンズは日本での初登板をかざれなかった。
しかしあっさりしたもの。
日本では全然聞いたこともない歌を口ずさみながら真っ直ぐにプロへとび込む。
「打たれたのはちょっと口惜しかったけど、そんなにいつまでもくよくよしていないよ。
それよりも試合に出られたことがうれしいね」通訳の瀬口氏の「ベンチへ帰ってきたときがっかりしているかなと思ったんですが、なんともないような顔をしていました」といっている。
片目をつぶったり、耳を引っ張ったり、茶目っ気たっぷりの表情で話をする。
「三人しか投げなかったので、日本の打者がどうだとはいえない。
二塁打されたカーブ(山本八)は内角の一番悪いコースへ入っただけで、前の二飛(ラドラ)のカーブは外角を流れたいい球だった。
日本の打者のことは全然わからないので、打たれても仕方がないな。
しかしカーブ以外の球、たとえばシンカー、シュートならまあ大丈夫だと思うね」これが初登板の印象である。
ボトラの白色とは違って、浅黒く、体もひとまわり小さい。
「目は鋭く精カンな感じだ。
ちょっとアメリカの映画俳優フランク・シナトラに似ている。
それをいうとネバー・ハップンと頭からすっぽりと背広をかぶってしまった。
林コーチの話 「ミケンズはカーブがいちばん甘い。
外角を攻めろといっておけばよかったな。
スピードもあるし外角をついておればなんとかなっていたと思うね。
山本(八)は走者がいるときはちょっとバットを当てるだけだ。
きょうもうまくそれでいかれた。
ラドラにはあちらでもミケンズが一枚上のクラスだから少しも心配していなかった」