古い話で恐縮です。
1989年4月24日。
新日本プロレスがプロレスとしてこけら落とし興行を行った東京ドーム 。
そのメインイベントに予定されていたのが アントニオ猪木対ソスランアンディエフ でした。
アンディエフはモスクワとモントリオールオリンピックレスリングフリースタイルの金メダリストでした。
五輪2回連覇は、ソウル、バルセロナ、アトランタのオリンピックレスリンググレコローマンスタイルで五輪3連覇したアレクサンダーカレリンの先駆けを思わせる存在でした。
結果的に猪木対アンディエフは実現しませんでした。
試合直前にアンディエフが交通事故で全治1年の診断でアンディエフが日本に来ることはありませんでした。
猪木の相手はミュンヘンオリンピック柔道重量級の金メダリストのショータチョチョシビリになりました。
プロレス版ペレストロイカ、プロレス対アマレスがコンセプトだったソ連との対決ドーム大会でしたが、猪木は結局ハシミコフ 、ザンギエフ等アマレス選手とやる事なく終わりました… 質問は本当にアンディエフ来日中止の原因は 交通事故だったのかという物です。
全治1年という事はほぼ再起不能と言う事だし。
また、猪木対アンディエフがもし実現していたらどんな試合展開になっていたでしょうか ?風貌を見るとローランボックを思わせました。
私はある種の期待を持っていました。
1999年2月21日横浜アリーナ。
前田日明引退試合として前田日明対アレクサンダーカレリンが実現しました。
カレリンは当時、バリバリの五輪金メダリストでした。
1989年4月24日東京ドームで実現しなかった猪木対アンディエフから10年…遂にプロレス版ペレストロイカプロレス対アマレスが完成したのかなと感慨を持ちました。
猪木対アンディエフもし闘えば… 皆さんの予測、回想を聞かせて下さい。
よろしくお願いします!!
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