元クラウンの高垣義広投手を知ってますか? 1977年 ライオンズは、まだ勝ち続けている。十三日の南海戦から平和台を舞台

元クラウンの高垣義広投手を知ってますか? 1977年  ライオンズは、まだ勝ち続けている。十三日の南海戦から平和台を舞台

元クラウンの高垣義広投手を知ってますか? 1977年 ライオンズは、まだ勝ち続けている。十三日の南海戦から平和台を舞台にこれで5連勝だ。こんなことは昨年はもちろん山賊野球の一昨年にもなかった。つまりは四十九年五月の6連勝以来実に三年ぶりのことだ。山笠名物の追い山は終わった。が、山笠シリーズをきっかけに突っ走り始めたライオンズのお祭り野球は、まだまだ終わりそうにない。あの慎重居士ナンバーワンの鬼頭監督までが、とうとう台乗りでオッショイ、オッショイ。「勝つ時は、だれ(相手投手)が来ても勝つですよ。例え鈴木が来てもね。出来ればこのまま(オールスター休みなしで)行きたいよ。ピッチャーだってローテーション通りだし、別に無理はさせてないからね。これからも一つでも二つでも勝ちたいでーす」先発の野崎がプレートに足をひっかけ、腰を痛めて突然引っ込んだあと、三回一死二塁のピンチを引き継いで無失点のまま六回まで押えた高垣が今季初勝利。七回から九回までを分担した山下が4連続セーブポイント投手だ。高垣は大洋時代の四十七年十月三日、ヤクルト戦に救援で勝って以来五年ぶりのプロ通算4勝目だ。「いつ以来かも覚えてなければ、いくつ勝ったかも記憶にないんです。僕らは、とにかく点をやらないように投げればいいんだから・・・」と、およそプロのガメツさとはほど遠い投手哲学を披露した高垣だが、少年ファンに囲まれて握手攻めにあい、同僚たちに祝福されると、さすがにうれしさを隠せなくなった。「ありがとう」「ありがとう」の連発で、ついには声がかかる前に「ありがとう」の先制攻撃。これで六月二十一日の近鉄戦以来3試合連続9回1/3の無失点である。「低めに内野ゴロを打たせる球を集めました。シンカー気味の球がよく決まりました。近鉄とはオープン戦でもよかったし、一発がないチームだから比較的投げやすい相手だと思ってました。チームのムードは最高だし、出たら一生懸命投げるだけです」そんな高垣を救援した山下も、ことし大洋から一緒に来た同窓生だ。だれが来ても勝てるチームは、同時にだれが(マウンドに)行っても勝チームのはず。いまのライオンズの形がそれである。この日3打数2安打で3打点をたたき出した基も言う。「ナインは連勝記録なんて教えてやしませんよ。ただがんばろう、いい野球をやろうと考えてるだけなんです。土井さんもよく打っとる(6試合連続打点、2試合連続本塁打)し、ピッチャーもガッチリと投げてます。みんなムードに乗って走ってますよ。これが本物かって?うん、この形がウチのパターンだってことは言えるんじゃないですか。その意味じゃ本物と言ってもいいと思いますよ」本物議論には、鬼頭監督も「ウチもツイとるんかなあ」と一度は首をかしげた。しかし最後にキッとなって断言した。「これだけはハッキリ言えると思うんです。いまのウチは、どこにも走り負けしていないということです」。就任以来一年半、ひたすら走る野球に情熱を注いだ鬼頭さんの夢が実りかけている。「このままでいつまでも・・・」というこの人の語調には、厳しいシッタに耐え、ようやくここまでついて来てくれた選手たちへのねぎらいの響きがこもっていた。

知らなかったので調べました。 鳥取西高校では2年生からエース。 1965年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東中国大会準決勝に進出するが関西高の森安敏明に抑えられ敗退。 翌1966年夏も東中国大会準決勝で岡山東商に惜敗し甲子園には出場できなかった。 1966年ドラフト会議(第1次)で近鉄バファローズから2位指名を受けるが拒否。 交渉権喪失後にドラフト外で大洋ホエールズへ入団、右の本格派として大きく期待される。 1967年はルーキーながら6月に先発陣の一角に起用され、中日から初勝利をあげる。 しかしその後は伸び悩み二軍暮らしが長かった。1972年には主に中継ぎとして23試合に登板、翌年も一軍で起用されるが、徐々に登板機会が減少。 1976年オフに山下律夫と共に関本四十四との交換トレードで、クラウンライターライオンズへ移籍。 1977年には5年ぶりに勝利投手となるが、その後はあまり出番に恵まれず1978年限りで引退した。 上手投げから、伸びのあるストレートが最大の武器、他にスライダーやシュートとカーブ。 通算102試合登板 4勝3敗 防御率4.18 背番号 58 (1967年 - 1971年) 22 (1972年) 14 (1973年 - 1976年) 12 (1977年 - 1978年)

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元クラウンの高垣義広投手を知ってますか? 1977年  ライオンズは、まだ勝ち続けている。十三日の南海戦から平和台を舞台

元クラウンの高垣義広投手を知ってますか? 1977年 ライオンズは、まだ勝ち続けている。十三日の南海戦から平和台を舞台にこれで5連勝だ。こんなことは昨年はもちろん山賊野球の一昨年にもなかった。つまりは四十九年五月の6連勝以来実に三年ぶりのことだ。山笠名物の追い山は終わった。が、山笠シリーズをきっかけに突っ走り始めたライオンズのお祭り野球は、まだまだ終わりそうにない。あの慎重居士ナンバーワンの鬼頭監督までが、とうとう台乗りでオッショイ、オッショイ。「勝つ時は、だれ(相手投手)が来ても勝つですよ。例え鈴木が来てもね。出来ればこのまま(オールスター休みなしで)行きたいよ。ピッチャーだってローテーション通りだし、別に無理はさせてないからね。これからも一つでも二つでも勝ちたいでーす」先発の野崎がプレートに足をひっかけ、腰を痛めて突然引っ込んだあと、三回一死二塁のピンチを引き継いで無失点のまま六回まで押えた高垣が今季初勝利。七回から九回までを分担した山下が4連続セーブポイント投手だ。高垣は大洋時代の四十七年十月三日、ヤクルト戦に救援で勝って以来五年ぶりのプロ通算4勝目だ。「いつ以来かも覚えてなければ、いくつ勝ったかも記憶にないんです。僕らは、とにかく点をやらないように投げればいいんだから・・・」と、およそプロのガメツさとはほど遠い投手哲学を披露した高垣だが、少年ファンに囲まれて握手攻めにあい、同僚たちに祝福されると、さすがにうれしさを隠せなくなった。「ありがとう」「ありがとう」の連発で、ついには声がかかる前に「ありがとう」の先制攻撃。これで六月二十一日の近鉄戦以来3試合連続9回1/3の無失点である。「低めに内野ゴロを打たせる球を集めました。シンカー気味の球がよく決まりました。近鉄とはオープン戦でもよかったし、一発がないチームだから比較的投げやすい相手だと思ってました。チームのムードは最高だし、出たら一生懸命投げるだけです」そんな高垣を救援した山下も、ことし大洋から一緒に来た同窓生だ。だれが来ても勝てるチームは、同時にだれが(マウンドに)行っても勝チームのはず。いまのライオンズの形がそれである。この日3打数2安打で3打点をたたき出した基も言う。「ナインは連勝記録なんて教えてやしませんよ。ただがんばろう、いい野球をやろうと考えてるだけなんです。土井さんもよく打っとる(6試合連続打点、2試合連続本塁打)し、ピッチャーもガッチリと投げてます。みんなムードに乗って走ってますよ。これが本物かって?うん、この形がウチのパターンだってことは言えるんじゃないですか。その意味じゃ本物と言ってもいいと思いますよ」本物議論には、鬼頭監督も「ウチもツイとるんかなあ」と一度は首をかしげた。しかし最後にキッとなって断言した。「これだけはハッキリ言えると思うんです。いまのウチは、どこにも走り負けしていないということです」。就任以来一年半、ひたすら走る野球に情熱を注いだ鬼頭さんの夢が実りかけている。「このままでいつまでも・・・」というこの人の語調には、厳しいシッタに耐え、ようやくここまでついて来てくれた選手たちへのねぎらいの響きがこもっていた。

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