匿名さん
元広島の興津立雄選手を知ってますか? 1966年 強いチームにいたらもっと人気の出る選手だ。
1㍍81の長身に男らしいマスクがのっている。
成績の方も毎年のようにベスト・テンに顔を出す。
三十八年前半には桑田とホームラン王を争ったほどだ。
だがその年の後半、元横綱の朝潮やタクシーの運転手がよくかかる脊ツイ分離症にかかりドロ沼に落ち込んだ。
一時は再起もあやぶまれたくらいだった。
だから寒さがにが手だ。
五月とはいえ新潟地方はまだキャンプのような寒さ。
市内の宿舎を出るとき、興津はスタイルのことはかまわずモモヒキをはいて防寒対策を怠らなかった。
試合後はコートのエリを立てていたが、決勝2ランの話になるとニッコリ。
「二球カーブできたのでこんどはシュートでくるやろうと思っていた。
ヤマが当たったね。
真ん中から外角へ沈むようなシュートやった。
風を計算して、うまく打ちあげばはいるとは思っていた」地方球場での試合には公式戦用球場にはない色々な条件がからまる。
産経もこの風を考えていなかったわけではない。
試合前の打撃練習で岡本らが左翼席へたてつづけにたたき込むのを見た飯田監督は「この風が勝負をきめるな」といった。
その予測が広島の二本の二ランにつながってしまったのは皮肉だった。
「去年も金沢(対巨人戦)でよく打ったし、ワシはどうもドサ回りに強いらしいな。
調子?まだ本物じゃない。
腰の方はもうだいぶいいんだが、寒いとやはりこたえるね。
早くモモヒキなどはかずに野球ができるような季節になってくれればいいんだがな」最後にバスへ乗り込む興津を初めて見た新潟の女性ファンが「ハンサムね」とささやいた。