匿名さん
元中日の井手峻投手を知ってますか? 1967年 吉江代表がベンチにかけ込み、井手をだきかかえた。
木下広報課長は特別にタクシーの用意をし、ゆっくりインタビューに答えられるようにはからった。
周囲の方が興奮している。
「長かったなあ。
ほんとうによかった。
おめでとう」と吉江代表。
東大から二人目のプロ選手とさわがれたストーブ・リーグ。
卒業試験でキャンプ参加が不可能になったときは、中日は村野コーチを臨時捕手として東京に送り込み、東大の駒場球場で試験のあいまにピッチングをやらせた。
「球威不足」という屈辱的なレッテルをはられたのは入団直後だった。
プロの威力に自分からも恐れをなし、サラリーマンになっていた方がよかった、と深刻に悩んだ。
「小川のほかに勝てる投手はいない。
ほかの投手は魂のないピッチング・マシンだ」という周囲の声が井手に球威を与えたのかもしれない。
八月下旬からは休日なしの特訓でしぼられつづけてきた。
松原、土井を三振にとったのはフォークボール。
大学時代にはもっていなかった武器だ。
出ては打たれていたところ、あみだした苦心の策がやっと生きてきた。
直球とカーブだけでは押えられないという忠告から生まれた新兵器だ。
「よかった」が初勝利のただひとつの感想。
喜びより好奇の目に耐えぬいて「ホッとした」のが本心らしい。
「ことしはもう勝てないと思っていた。
堅い守りにささえられたおかげです」大学でわずか4勝、プロにはいってからウエスタン・リーグで1勝しただけで、勝利の快感はポツリ、ポツリとしかやってこないのだ。
ベンチで大声で声援をつづけた近藤コーチは「カーブがよくなってきた。
初めて使わせたフォークを決め球にしていくよう指導したい。
進歩してきています」とうれしそう。
終盤投げあった先輩の大洋・新治(今季初登板)とカメラマンの注文で堅い握手。
「オレもまだ投げる。
お互いにがんばろう」との励ましの言葉にうなずいていた。
合宿での生活をある選手は「自由奔放に楽しく、しかし礼儀正しくやっている」という。
深夜まで名古屋の町で同僚と飲むことおある。
十一日の東京移動日は、三週間以上もなかった久しぶりの完全休養日。
婚約している藤森美弥子さんが東京には待っている。