81年4月。全日本プロレスでインターナショナルヘビー級王座決定トーナメント戦が行われました。先に行われたチャンピオンカーニバル上位の馬場、鶴田、ブローディ、ブリスコに加えてドリー、テ リーのファンクスも参加しました。ブッチャーは新日本移籍前でしたが、参加したから覚えていないけど。 71年の馬場の日本プロレス離脱ー全日本旗揚げからインターのベルトは長らく日本プロレスに最後までいた大木金太郎の手にありました。75年には韓国で猪木とも防衛戦をやっています。馬場がNWAやPWF以上に愛着のあったベルトがインターナショナルヘビー級でした。大木は80年から81年の末期の国際プロレスでも防衛戦を行っています。大木が持っていた事で価値が下がったとの見方もあるけど、大木が大切に10年も保持していたから後の三冠タイトルに繋がったとも言えるでしょう。 インターナショナルヘビー級王座復活に当たって、全日本プロレスは全日本にあった アジアヘビー級のベルトを大木に譲渡。交換条件だったわけです。それに新日本の新間営業本部長が、そういうのを泥縄式と言うんですと取って付けたように新日本にもアジアヘビー級王座を新設すると息巻いていました。 質問が長くなりましたが本題に入ります。 もしも大木が現王者の権利を行使してこのトーナメントに参加して場合、どこまで行けたと思いますか?既に年齢も50近くとっくにピークを過ぎていたから多くは期待できないと思うけど。 このトーナメントは決勝戦でドリーとテリーの兄弟対決が行われてドリーがエビ固めで優勝、王者となりました。 後にブローディも王者となったけど、例えば大木が挑戦を訴えたとしたら馬場はどこかの会場でブローディー大木のインター戦を組んだでしょうか? 大木も限界を感じたから虎の子のインター王座を返上譲渡したとは思うのですが… 回答よろしくお願いします♪