安全運転をお願いしたい 安全運転をお願いしたい-。最近はあまり意識しないが、昔はハンドルの「遊び」と呼ばれる余裕が気に

安全運転をお願いしたい  安全運転をお願いしたい-。最近はあまり意識しないが、昔はハンドルの「遊び」と呼ばれる余裕が気に

安全運転をお願いしたい 安全運転をお願いしたい-。最近はあまり意識しないが、昔はハンドルの「遊び」と呼ばれる余裕が気になった。ハンドルを回しても車輪が動かない範囲だ。 急な操作にならないようにして安定走行を保つ狙いだという▼「遊び」が足りないとハンドルが重くなったり振られたりする。ありすぎると操作が遅れたり、ふらついたりする。頃合いがあった。この「遊び」の機能、湿度により伸縮する木材加工の結合部分にも使われる。人間が暮らしの中で得た知恵の一つだ▼ところが肝心の人間社会、特に政治の世界で近年、懐の深さとも言える「遊び」の部分が薄れ、人や組織がぎすぎすした感じに見える。「安倍1強」や「官邸主導」と言われる状況が、そう思わせるのだろうか▼参院選は大方の予想通り、与党が圧勝した。先行き不透明な時代ほど、決然とした物腰が大衆の期待を集めるとされる。公約への信頼を損なう「新しい判断」という論理さえ、頼もしく映ったのかもしれない▼ただ先行きが不透明なら、思わぬ障害や曲がり角もあり得る。投票結果を見る限り、国民の中には、そんな道で「エンジンをふかす」ことに不安も残るようだ。アベノミクスの功罪や憲法改正は依然、賛否が分かれている▼今回の結果で改憲の発議に必要な数はそろうらしいが、政権運営のハンドルやアクセル操作は慎重にしてほしい。それが、より多くの国民の安心につながる。(己)

私は、ブログにいただいたコメントは、できるだけ掲載するようにしているのですが、熱のこもったコメントをいただく場合、1つ条件を設け、それをクリアした場合にのみコメントを掲載するようにしています。その条件は、記入いただいたメールアドレスが、正しいか、ダミーかということです。正しければ、基本的に掲載するようにしています。 誹謗・中傷・反論・批判。飛び交うインターネットのイメージ 現実の世界もそうですが、インターネットの世界でも、毎日どこかで非難の矛先となり苦しんでいる人がいます。 非難の矛先となってしまった人たちの中には、激しく傷つき、立ち直れず、ひどい精神状態に追いやられてしまった人も沢山います。 でもなぜ、インターネットの世界では、現実の世界以上に誹謗・中傷・反論・批判が飛び交うのでしょうか? 匿名性が問題なのか 私は、ブログにいただいたコメントは、できるだけ掲載するようにしているのですが、熱のこもったコメントをいただく場合、1つ条件を設け、それをクリアした場合にのみコメントを掲載するようにしています。その条件は、記入いただいたメールアドレスが、正しいか、ダミーかということです。正しければ、基本的に掲載するようにしています。 ※もちろん掲載することで、多くのユーザーに怒りを感じさせ、コメント欄でバトルが起こるような反論や批判は掲載しませんし、誹謗中傷の場合は一切掲載しません。 ただ、やはり私のブログに届く熱のある反論コメントや、批判コメントを書く方の多くは、メールアドレスがダミーであることが多いです。 最近調べた情報によると【人は自分の名前や身元が人に知られない場合、そして罰を受けない時は乱暴になりやすい】と、心理学の実験で結果が得られたと伺いました。 現実では、罰を受ける可能性がある。殴られる可能性がある。仕返しされる可能性がある。と人は恐れます。 でもインターネットの世界では、身元を明かさなくともコミュニケートが出来てしまうため、これらの恐怖を考えずにすんでしまいます。このインターネットの世界特有の匿名性の高さが、誹謗・中傷・反論・批判を生みやすい環境を作っているのではないでしょうか。 ウェブはバカと暇人のもの ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書) みなさんはこの本をご存知でしょうか?私は最近、誹謗・中傷・反論・批判が飛び交う理由を調べている最中に知りました。 私はWEB業界で働いているので、WEBは馬鹿と暇人のものと言われてしまうと、ちょっと傷ついてしまう感も否めないんですが、それでも読んでみたら、著者の鋭い分析力に脱帽しました。 また、誹謗・中傷・反論・批判が飛び交う理由のヒントも得られました。特に以下の引用文は、とても興味深いものでした。 突然だが、あなたは立ち小便をしたことがあるだろうか?女性は経験ないだろうが、多くの男性はやむにやまれぬ事情で立ち小便をしてしまったことがあるはずだ。 家族や友人に「いやぁ、昨日飲みすぎて我慢できなくなって立ちションしちゃったよ、ハハハ」などと報告したら、「バカね。ちゃんとトイレ行っておきなさい」と言われておしまいである。 だが、これをブログで告白したら問題になるだろう。特に、名前の一部が知られている人(芸能人や社長等)がブログで書いたら、「通報しました」や「軽犯罪法違反ですよ。人としていけないことです」「なに犯罪自慢してるんだよ」などのコメントがつけられ、場合によっては「炎上」する。 立ち小便はけっして立派な行為ではないし、立ち小便する人を咎めることは社会通念上、正しいことだ。しかし、わざわざ「軽犯罪」だと言って「通報」したり、「人としていけないこと」だと注意するほどのことか。そもそも、実際に立ち小便をしている人を注意できる人はなかなかいない。 悪いことをした人を注意すること自体はなんら悪いことではありません。ですが、自分に被害が及ばないにもかかわらず、WEBでは過剰に注意したり中傷したりする傾向が強いと著者は言っています。 私はまさにその通りかもしれないと思いました。だって千葉に住んでいる私が、苫小牧で牛のウンチを投げて遊んでいる子供に『そんな事させる親は信じられない! おかしい! やめさせるべきだ! 汚い! 下品だ!』なんて騒いでいたら変じゃないですか。 そりゃーそういうことがニュースとしてテレビで放送されたら「汚ねーガキだな」と思いますが、わざわざ、その子の親が運営しているブログを探しだして「汚ねーぞコラ!」なんてコメントしません。 でもなぜWEBでは過剰に注意したり中傷したりする傾向が強いのか。1つは先ほど話した匿名性の問題だと思います。ただ、この引用の場合、匿名性だけでは問題が片付けられません。 先ほどの引用にあった、「通報しました」「軽犯罪法違反ですよ。人としていけないことです」「なに犯罪自慢してるんだよ」こんな批判ばかりがずらーっと並んだコメント欄を見たらあなたはどう思いますか?ましてや、「犯罪者は死ね」「消えたほうが良いね」なんていう批判や反論を通り越した誹謗中傷が並んでいたらどうでしょうか? 私は『ここまで言わなくても良いだろう。ひどい人たちだ』と思います。 ひどい攻撃だと感じる文章を見れば、人はその文章を書いた人を【悪い人、心の狭い人、くだらない人、かわいそうな人】などと思うでしょう。 ですが、これらを書いた本人達は、自分のことを【正しいことをみんなの変わりに指摘してあげられる正義の味方】だと思っている場合があるようです。 こういった方たちは、このインターネット上に多くいます。調べてみると【正義感が強いが勇気が無く人に面と向かって注意できない人】や【現実の世界で自分の存在意義を見出せない人】に多い傾向があるようです。 また、自分の意見がすべて正しいと考え、自分の考えとは違う人はすべて悪と判断し、とにかく激しく攻撃したくなってしまう事もあるようです。 誹謗中傷はしてはいけないことです。ですが批判や反論をしてはいけないというわけではありません。批判的に物事を見ることや、反論をすることが自己防衛につながったりしますので批判も反論も必要なことです。私自身、友人と映画の批評・時には批判をすることを楽しみとしています。 ただ、批判や反論をするとき、言われる側の人間が明らかに傷つくであろう言葉を選んでまで、批判・反論したほうが世の中や、その人のためになるのでしょうか。もしわざと相手が傷つくであろう言葉を選んでいるとしたら、それは本当に批判や反論と言えるのでしょうか。 では、インターネットの世界で、誹謗・中傷・反論・批判が飛び交うのは、間違った正義感とWEBならではの匿名性だけが原因なのでしょうか? とある掲示板の【ご利用の注意点】のページに以下のようなことが書いてありました。 ネットの世界は顔の見えない相手とのやり取りがメインとなります。実際に向かい合ってしゃべる以上に気を使って発言してください。 また、文字だけの世界ですので、思わぬことからトラブルになることが予想されます。自分の意志とはまったく違う解釈をされる場合もあります。その場合は熱くならず、誤解であることを丁寧に説明するか、争いを避けるように努力してください。ご協力をお願いいたします。 私はこの文章の中の【文字だけの世界ですので、思わぬことからトラブルになることが予想されます。自分の意志とはまったく違う解釈をされる場合もあります。】ここの部分が誹謗・中傷・反論・批判が飛び交うもう1つの原因なんじゃないかと感じました。 文字だけの世界であるインターネット(厳密には動画などもありますが)は、常に勘違いが生まれます。それこそどんなに丁寧に書き綴ったとしても、意図しない勘違いが生まれます。 たとえば、私がブログ上で『自分の事をブダイクだと思っている女が好きだ』と書き込めば、きっと多くの勘違いが生まれてしまうでしょう。それこそ『ブサイクだと思っている女を馬鹿にしてない?』とか、そんな感じになると思います。 ですが、実際に面と向かって会話する場合、私が『自分の事をブダイクだと思っている女が好きだ』と言い、相手がその意味の真意が分からない場合『それってどういう意味?』と聞き返してくれます。 現実の世界では、このようにお互いの努力で勘違いを回避できるのですが、インターネットの世界ではそれが上手くできません。 『ブサイクだと思っている女を馬鹿にしてない?』と感じてしまえば、誤解である可能性など一切考えず、ブサイクな女を馬鹿にしているという腹立たしい気持ちをコメントするんです。『女を馬鹿にするな! このっクズ!』のように。 ただ、これが手紙じゃないとコメントができない場合、『ブサイクだと思っている女を馬鹿にしてない?』と感じたとしても、『女を馬鹿にするな! このっクズ!』と書く人は格段に少なくなります。それは、手紙の場合だとポストに投函するまでに時間がかかるからです。 手紙を書き、封をし、郵便ポストまで歩いてもって良く。この工程を面倒だと感じる人もいれば、郵便ポストにたどり着くまでの時間に、カーッとなった頭が冷静になる場合もあります。でもインターネットやメールの場合は話が変わります。ワンクリックで送信できてしまいますからね。 話を戻しますが、『自分の事をブダイクだと思っている女が好きだ』とブログに書き込んだ場合、もちろん説明不足である書き手にも問題があるとおもいます。ですが、インターネットで多くコミュニケーションを取るようになったこの時代。もうそろそろ読み手である人たちも、勘違いしている可能性を意識するべきではないでしょうか。現実の世界と同じようにお互いの努力で勘違いを回避するべきです。

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安全運転をお願いしたい 安全運転をお願いしたい-。最近はあまり意識しないが、昔はハンドルの「遊び」と呼ばれる余裕が気になった。ハンドルを回しても車輪が動かない範囲だ。 急な操作にならないようにして安定走行を保つ狙いだという▼「遊び」が足りないとハンドルが重くなったり振られたりする。ありすぎると操作が遅れたり、ふらついたりする。頃合いがあった。この「遊び」の機能、湿度により伸縮する木材加工の結合部分にも使われる。人間が暮らしの中で得た知恵の一つだ▼ところが肝心の人間社会、特に政治の世界で近年、懐の深さとも言える「遊び」の部分が薄れ、人や組織がぎすぎすした感じに見える。「安倍1強」や「官邸主導」と言われる状況が、そう思わせるのだろうか▼参院選は大方の予想通り、与党が圧勝した。先行き不透明な時代ほど、決然とした物腰が大衆の期待を集めるとされる。公約への信頼を損なう「新しい判断」という論理さえ、頼もしく映ったのかもしれない▼ただ先行きが不透明なら、思わぬ障害や曲がり角もあり得る。投票結果を見る限り、国民の中には、そんな道で「エンジンをふかす」ことに不安も残るようだ。アベノミクスの功罪や憲法改正は依然、賛否が分かれている▼今回の結果で改憲の発議に必要な数はそろうらしいが、政権運営のハンドルやアクセル操作は慎重にしてほしい。それが、より多くの国民の安心につながる。(己)

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