木村和司や加藤久らを擁して、86年メキシコワールドカップを目指して戦い、韓国の前に散った森ジャパン。その布陣は以下の通り。 松井 松木 加藤 石神 都並 西村 宮内 木村 水沼 原 戸塚 もし、当時ラモスが既に帰化していたら、また海外組を現在のように使えていたら、どのような布陣を敷きますか?また、日韓戦はどのような展開になったと思いますか?(相手に車範根はいないものとします。) 私は、中盤の底に奥寺、FWにラモスがいるチームを見てみたいです。 ●ラモス瑠偉 当時28才。JSL1部読売クラブに所属。18試合7点。同年読売クラブは、キリンカップでの日本代表との試合で圧勝している。前年2月に初音夫人と結婚。実際の帰化は89年。ポジションはMF、FW(79年JSL得点王)。 ●奥寺康彦 当時32才。ブンデスリーガ ブレーメンに所属。33試合1点。前年と同年ブレーメンは、リーグ2位。ポジションは3-5-2のウィングバック、守備的MF。翌シーズンに帰国、古巣の古河に戻った。国際Aマッチ23試合9点。(85年時点) ●尾崎加寿夫 当時25才。ブンデス2部 ビーレフェルトに所属。28試合3点。ドイツでは3年目。チームは前年まで1部。ポジションはFW。以降、ブンデスでは、1部で1シーズン、2部で2シーズンを送る。国際Aマッチ17試合3点。 ●風間八宏 当時24才。ブンデス3部 レムシャイトに所属。成績は不明。筑波大卒後、1年間県リーグチーム 所属を経て、84年にレバークーゼンとアマチュア契約。ポジションはMF。 後にブンデス2部でも2シーズンプレー。国際Aマッチ20試合0点。