匿名さん
昔日の旧来より、保守的な伝統文化の継承によって裏打ちされた権威ある横綱の貫目を台無しにしかねない正攻法と打って変わり対極にある猫騙しの小細工を弄し、非難轟々と物議を醸した白鵬騒動で すが、当カテに於いても、最早辛辣な意見ないしは感想で埋め尽くされ、大相撲ファン(好角家)の良識が健在である点にホッと安堵し、溜飲が下がりました。
私にとって、威風堂々とした横綱の理想像を確立したのは貴乃花以外になく、修行僧の如く孤高の求道者として、君臨し続けました。
驕る者久しからずですが、白鵬は数字に裏付けされた実績が全てに優るととんだ思い違いを起こしている様で、受け身とは程遠いと首をかしげざるを得ない主導権を我先にと奪いにゆく相撲振りからも透けて見えます。
個人的には両者の比較では、迷いなしに貴乃花>白鵬ですが、主に世紀末の90年代を堪能知らずの青二才風情の若いファンは貴乃花<白鵬という認識が大勢を占める様です。
一つだけ、大事なポイントを付言しておくと、貴乃花は自らいきなり優勢とはならず、敢えて相手側に十分に持てる実力を発揮させた上で、矢尽き刀折れるの喩(たと)え通りに通用しまいと観念させる一貫性を堅持しつつ、常勝街道をひた走りました。
角聖双葉山流の後の先の究極を体得していた訳です。
白鵬は日頃、何かと双葉山や大鵬の四股名こそ挙げるが、身近な先輩横綱である貴乃花を意識することは殆ど無いに等しいのです。
改めて考えるに、実績を最重要視する余り、目先の記録に囚われ、白鵬という横綱は何とこじんまりした存在に過ぎぬと実感させます。
只勝ちさえすれば、納得顔の白鵬に大横綱の称号はふさわしいか、改めてこの場で問うてみたいです。
忌憚なき説論をお聞かせ願いたく存じ上げます。