匿名さん
元中日の中山俊丈投手を知ってますか? 1962年 中日の中山投手がさる二十四日の広島戦で三年ぶりに勝利投手になった。
甲子園大会の優勝投手で三十一、三十二年には連続20勝した実績のある中山のカムバックは明るいニュースだが、中山が左の横手投げで成功したところに話題がある。
球界では左のアンダースローやサイドスロー投手は珍しい。
大リーグはもちろん、アンダースロー全盛の日本で戦前法大の鵜沢投手(NHK)戦後は中日の三富恒雄氏(東京中日新聞)が成功したぐらいだ。
大洋の鈴木(隆)投手も中大の二年生のとき当時常盤炭鉱の監督だった谷口五郎氏(大洋コーチ)のアドバイスでアンダースローにしたが、一年間でやめてしまった。
どうして下手投げのサウスポーがいないのか。
理由は簡単だ。
秋山(大洋)杉浦(南海)が左打者に弱いのと同じで、左の下手投げ投手は右打者にカモになりやすい。
「左打者はヘビよりいやだ」という秋山は「なにしろ球筋がよく見えるのだから打ちいいんでしょうな」と左打者のときは投球フォームをややスリークォーター気味にあげたりして苦労している。
バッターの八割は右打者だそうだ。
これでは左の下手投げ、横手投げ投手が出てこないのも無理はない。
理論的にむずかしい左のサブマリンに中山を変えた理由を杉浦監督はこう説明した。
「中山は球質が軽く、鋭いシュートもない。
全盛期に比べ、スピードも落ち限界にきている。
そこで新しく生きる道として①オーソドックスな投法をやめて、打者の心理を逆につくチェンジアップにするか②思い切って、すなおなフォームを横から投げることで球にクセを出すか、どちらかの方法を選べと命じたのだ」中山は左打者対策、ワン・ポイント・リリーフとして転向することになったが、投手陣の不振で彼に登板のチャンスがふえ、七試合目に四年目のシャットアウトという金星を射止めた。
広島の打者は「12点も差がついてしまったので・・・」といっていたが、カーブでカウントをかせいでおいて低目に落ちる球を配した横にゆさぶるピッチングが効果的だった。
しかし成功したいまでも中山はフォームを変えたことに懐疑的だ。
「習慣なんですね。
ときどき上から投げてしまう。
幹部は成功した例(三富氏)があるというんですが、どうも右バッターには投げにくくてね。
監督さんがなんとかぼくにチャンスを与えてくれようという気持はありがたいんですが・・」吉田正男氏も首をかしげているひとりだ。
「きれいすぎるくらいのフォームがむしろ欠点になっていた中山だけに、いまのフォームでピッチングに変化が出てきたことは一つのテストだ。
これで活路を見いだせば・・・とういのが杉浦監督の本心ではないだろうか。
しかしこういうタイプの投手は必ず勝てるというお得意さんのチーム、打者をつくらねばだめだ。
三富氏が26年に12勝したのも阪神(5勝3敗)に強かったからだ。
その点中山は左打者の多い大洋、巨人あたりをぎゅうじる研究をしないと理論だおれになりはしないかな」