元広島の大羽進投手を知ってますか? 1965年 先発が予定されていた池田が腰を痛めたため、急にオハチがまわってきた。「

元広島の大羽進投手を知ってますか? 1965年  先発が予定されていた池田が腰を痛めたため、急にオハチがまわってきた。「

元広島の大羽進投手を知ってますか? 1965年 先発が予定されていた池田が腰を痛めたため、急にオハチがまわってきた。「ひょっとしたらリリーフで使ってくれるかもしれない」と胸算用して球場へ着いたので、先発を申し渡されても顔色一つ変えなかった。驚かなかったばかりか、ベンチをとび出しながら「さあ、試合前だけの練習をやるか」と冗談をいう余裕があった。ことしはこれが初先発。六試合投げたのは全部ショートリリーフで、それも一ニング以上投げたことはない。おまけに半月前まではヒジを痛めてウエスタン・リーグへ約一週間いっていた。「ヒジが悪かったことよりフォームがくずれていたからだ。手首の返しが早すぎて、スピードが死んでしまっていた」と長谷川コーチはいう。一軍に呼び戻されたのは五月十五日の中日戦からだった。広島は川本スコアラーが中心になって、細かく他チームのデータを集めている。三連戦単位でまとめられたそのデータは親会社、東洋工業にある巨大な電子計算機でさらに細かく分類、集計されて、ベンチに送り返されてくる。長谷川コーチはこのデータをもとにして巨人の打線を徹底的に分析し直した。「くわしいことはいえないが、第一に低めに落ちる変化球を有効に使うことだ。そのためにはまず高めいっぱいをついて、手元でのびるストレートがなくてはならない。きょうの大羽のピッチングは巨人封じの見本のようなものだ」と長谷川コーチはいう。川本スコアラーも「六割が変化球。前半はフォークボールを、後半はカーブを主体にしていた」と裏づけている。昨年巨人戦に十二試合投げて4勝2敗。この勝ち星がシーズン全部の勝ち星でもあった。「ONにはフォークボールをたくさん使ったけど、王にはカーブを二球ほど投げた。長島?歩かせてもいいからベルトより上には投げないように気を使った。シュートでカウントをとって追い込んでからフォークボールを落としたのがよかった」九回、安仁屋にバトンを渡してコーラを飲みにベンチを抜け出してきた。サロンのドアはもうしまっていて、とうとうコーラは飲めずじまいだったが、笑いながらいった。「きょうのピッチング採点?まだ勝てるかどうかわかんないからなんともいえません」ことし初の1勝をあげたこの日の昼間、おにいさんが結婚式をあげたことはバスに乗り込むまでいわなかった。 長島選手「大羽がよすぎた。落ちる球にやられた。八階の三振は完全にボール。フォークボールだった。ああいう変化球はもっと引きつけて打たなければいけないな」 王選手「大羽はそんないいできとは思わなかった。ただ高低の変化でうまく攻めてくるのでポイントがつかみにくかった」 吉田勝選手「大羽は打てない投手とは思えない。六回の三振はカーブだった」

知らなかったので調べました。 中学時代から王貞治と対戦しており、地区大会決勝で対戦するも敗北。 日本大学第一高校に進学。 2年生時にはエースとして1957年夏の甲子園都予選決勝に進み、早稲田実業高の王と投げ合うが完封負けを喫する。 翌1958年春季東京大会では準決勝で早実高を完封、決勝でも明治高を降し優勝を飾る。 しかし夏の都予選では4回戦で敗退、甲子園には出場できなかった。 王とは3度対戦したが1勝2敗であった。 高校卒業後は明治大学に進学する予定だったが、急遽とり止めプロ入りする事を決意し、1959年に広島カープへ入団した。 ライバルの王が1年目から活躍する中で大羽は伸び悩んでいたが、1964年5月5日の巨人戦で大羽は先発として登板。 この試合は王の5打席連続本塁打の成否がかかっており、広島が初めて王シフトを敷いた試合だった。 大羽は打席の王に対して内角球で真っ向勝負し、見事に王をファーストライナーに打ち取り、日本記録達成を阻止した。 同年8月20日の巨人戦では、5試合連続で本塁打を打っていた王の記録を止め、初完封勝利した。 1965年にフォーム改造に着手し、「フラミンゴ投法」と呼ばれたフォームで翌年には13勝を挙げ、オールスターゲームにも初出場した。 1972年には金銭トレードで東映フライヤーズに移籍し、この年限りで引退した。 巨人戦では通算19勝と滅法強く、巨人キラーとしても活躍した。 引退後は不動産会社勤務を経て、都内で兄とともに金属加工関係の会社を経営している。 オーバースローからシュート、カーブ、スローカーブ、フォークボールなどを武器とした。 通算466試合登板 48勝79敗 防御率3.50 背番号 40 (1959年 - 1960年) 29 (1961年 - 1971年) 47 (1972年)

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元広島の大羽進投手を知ってますか? 1965年 先発が予定されていた池田が腰を痛めたため、急にオハチがまわってきた。「ひょっとしたらリリーフで使ってくれるかもしれない」と胸算用して球場へ着いたので、先発を申し渡されても顔色一つ変えなかった。驚かなかったばかりか、ベンチをとび出しながら「さあ、試合前だけの練習をやるか」と冗談をいう余裕があった。ことしはこれが初先発。六試合投げたのは全部ショートリリーフで、それも一ニング以上投げたことはない。おまけに半月前まではヒジを痛めてウエスタン・リーグへ約一週間いっていた。「ヒジが悪かったことよりフォームがくずれていたからだ。手首の返しが早すぎて、スピードが死んでしまっていた」と長谷川コーチはいう。一軍に呼び戻されたのは五月十五日の中日戦からだった。広島は川本スコアラーが中心になって、細かく他チームのデータを集めている。三連戦単位でまとめられたそのデータは親会社、東洋工業にある巨大な電子計算機でさらに細かく分類、集計されて、ベンチに送り返されてくる。長谷川コーチはこのデータをもとにして巨人の打線を徹底的に分析し直した。「くわしいことはいえないが、第一に低めに落ちる変化球を有効に使うことだ。そのためにはまず高めいっぱいをついて、手元でのびるストレートがなくてはならない。きょうの大羽のピッチングは巨人封じの見本のようなものだ」と長谷川コーチはいう。川本スコアラーも「六割が変化球。前半はフォークボールを、後半はカーブを主体にしていた」と裏づけている。昨年巨人戦に十二試合投げて4勝2敗。この勝ち星がシーズン全部の勝ち星でもあった。「ONにはフォークボールをたくさん使ったけど、王にはカーブを二球ほど投げた。長島?歩かせてもいいからベルトより上には投げないように気を使った。シュートでカウントをとって追い込んでからフォークボールを落としたのがよかった」九回、安仁屋にバトンを渡してコーラを飲みにベンチを抜け出してきた。サロンのドアはもうしまっていて、とうとうコーラは飲めずじまいだったが、笑いながらいった。「きょうのピッチング採点?まだ勝てるかどうかわかんないからなんともいえません」ことし初の1勝をあげたこの日の昼間、おにいさんが結婚式をあげたことはバスに乗り込むまでいわなかった。 長島選手「大羽がよすぎた。落ちる球にやられた。八階の三振は完全にボール。フォークボールだった。ああいう変化球はもっと引きつけて打たなければいけないな」 王選手「大羽はそんないいできとは思わなかった。ただ高低の変化でうまく攻めてくるのでポイントがつかみにくかった」 吉田勝選手「大羽は打てない投手とは思えない。六回の三振はカーブだった」

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