ランチアとは

ランチア

ランチア(Lancia Automobiles S.p.A. )は、イタリア・トリノを本拠地とする自動車メーカーである。1906年に設立され、1969年以降はフィアットグループの傘下にある。
イタリアでは巨大コングロマリットであるフィアットが大衆車から大型車までを揃え、自動車市場を占有していた(現在では同国内の事実上全ての自動車メーカーを系列下に収めている)ため、他社はフィアット車と競合しないスポーツカーや高級車などのニッチ市場に活路を求めた。その中でも代表的な高性能車、高品質車メーカーとして知られているのがランチアであり、モノコックボディ、独立式サスペンション、V型エンジン、5速トランスミッション、風洞実験に基づくボディーデザインなどを量産車において世界で最初に採用したメーカーである。

またランチアの最上級車はイタリアにおいて、ムッソリーニ体制の時代から現在まで元首の公用車として使われてきた歴史があり、伝統となっている。

設立者は、ヴィンチェンツォ・ランチア(Vincenzo Lancia 、1881年 - 1937年)である。

モータースポーツ好きのヴィンチェンツォは、裕福な缶詰スープ会社の家系に生まれたので、車に若い頃から接することができた。一時はフィアットの契約ドライバーとして活躍し、レーシングドライバーとしての才能を見せその後は研究開発部門の要職に就いたが、それに飽きたらず「自由に考え、自由に創るために」、1906年に自ら自動車メーカーを設立してオーナー兼技術統括責任者となり、ギリシア文字のアルファ、ベータ以下で始まる名称のモデルを生産した。

ランチアの名が世界各国で知られるようになったのは、1922年登場の、モノコック構造のボディに前輪独立懸架を組み合わせ、先進的なオーバーヘッドカムシャフトのエンジンを搭載したラムダ(ギリシア文字のL)によってであった。その後は旧ローマ街道に因んで命名されたアストゥーラ、アルデナ以下各種のモデルを開発・生産し、上質なハイスピード・ツアラーのメーカーとなることを志向した。

ヴィンチェンツォの遺作となったのは、1937年にデビューし、世界で初めて風洞実験によってデザインされたと言われる流線型ボディ、SOHC狭角V4エンジン・四輪独立サスペンションを持つ、アプリリアであった。アプリリアは抜群のロードホールディングと優れた加速性で「ラムダ」以来の傑作車とされ、当時のアルペンラリーやモンテカルロ・ラリーで活躍、第二次世界大戦後の1948年まで生産された。

ヴィンチェンツォ死後は子息のジャンニ・ランチアが会社を継承。ジャンニは戦後、アプリリアの後継車開発のため第二次世界大戦前にはアルファロメオの各GPマシーンを設計したヴィットリオ・ヤーノを招聘、世界初のV型6気筒エンジン、デフとギアボックスが一体化したトランスアクスルを持つ「アウレリア」が1951年に誕生した。「アウレリア」のクーペはGTと命名され、グラントゥーリズモのパイオニアとなった。

また、元々レーシングドライバーであったにも関わらずモータースポーツに進出しなかったヴィンチェンツォ時代とは対照的に、ジャンニ時代のランチアは、「アウレリアGT」やそれをベースとした「D20スポーツカー」をミッレミリア、タルガ・フローリオ、ル・マン24時間などに出場させた。さらに1954年には別項にある通りF1にも進出した。

ヴィンチェンツォ・ジャンニ親子が経営していた1950年代までのランチアは、採算を度外視した技術偏重型の経営であったとされる。しかし、やがてそれは経営悪化を招くことになり、1955年にランチアは倒産、創業者一族は経営から手を引き、ヤーノも退社した。

新たにランチアの経営権を取得したのは、建設やセメント業で成功していたカルロ・ペゼンティであった。ペゼンティはランチアの伝統を良く継承し、ヤーノに代わり主任設計者としてアントニオ・フェッシアを招聘、1960年代にかけての「フラミニア」、「フラヴィア」、「フルヴィア」の設計を委ねた。

フラヴィア、フルヴィアは前輪駆動を採用するなど各車とも先進的な技術と高い工作水準、そして特にスポーツモデルの美しいデザインが評判を得た。しかしこれらの車種も採算性が低く収益が改善しないことを受け経営は再び悪化、1969年にはフィアットに売却されることとなった。

1969年にフィアット傘下に収まった後、1972年にはフィアット製エンジンを持つ「ベータ」が登場、1977年に「フルヴィア」が生産中止されて以後はそれまで培ってきたブランドイメージを生かし、フィアットにおける高級車部門という位置づけでのモデルを生産していた。

1979年に発表された「デルタ」は、1980年に「ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー」を獲得、安定した販売台数を維持し、1990年代まで長寿を誇った。

1984年にデビューした「テーマ」にフェラーリのエンジンを搭載した「8.32」が発売された。

フィアット傘下にあったアウトビアンキ・A112の後継モデルとして、1985年から「ランチア」ブランドで「イプシロン」を販売した。1980年代から1990年代にかけて好調な販売台数を維持した。

「ストラトス」、「ラリー037」、「デルタ・インテグラーレ」など、WRCで勝つためにホモロゲーションモデルを生産した。
フルビアなどで得た、ランチアのモータースポーツと直接結びついたブランドイメージを、フィアット傘下でも受け継いだ。そのイメージはアルファロメオのフィアットグループ入りした今もなお健在である。

2009年にクライスラーグループを傘下に収めたフィアットは、2010年に価格帯が重複する2つのブランド(クライスラーとランチア)のヨーロッパにおけるディーラー網を統合した。

これによってヨーロッパの多くの国ではクライスラーが消滅してランチアに一本化され、以後クライスラーの車種はランチアにリバッジされて投入されることとなった。

これを受けて「テーマ」や「フラヴィア」など複数の車種が復活したが、「デルタ」や「ムーサ」が消滅した。なお消滅した車種の多くがランチア独自のモデルであった。

一方、ランチアが撤退していた日本やイギリス、アイルランドではイプシロンやテーマがクライスラーブランドで販売が行われることとなった。

2013年1月の時点では、ランチアのブランドはイタリア国内では存続するものの、それ以外の地域で継続販売されるかどうかは未定とされていた。

2014年、クライスラーグループとフィアットが経営統合して新会社「FCA(フィアット・クライスラー・オートモービルズ)」が誕生し、同年5月に中期経営計画「2014‐2018ビジネスプラン」にて「ランチアブランドは今後イタリア国内の専売とする」ことが発表された。

これにより、イタリア以外でのランチア車販売は終了し、イタリアでも車種削減が行われ、販売車種はイプシロンのみとなったが、レンタカー需要等で好調なセールスが続いていた。

その後2019年10月、FCAがフランスのグループPSAと経営統合した際、PSAのカルロス・タバレスCEOが「PSAのプジョー、シトロエン、DS、オペル、ボグゾールの5ブランドと、FCAのフィアット、アルファロメオ、マセラティ、ランチア、アバルト、クライスラー、ダッジ、ジープ、ラムの9ブランドをすべて存続させる」と発言した。これに伴い、2015年のフェイスリフト以来低金利セールや特別仕様モデルで存続していたイプシロンにおいて、2020年に久々のマイナーチェンジが行われた。

1950年代の一時期にはF1に参戦した他、スポーツカーレースでも活躍したが、特に国際ラリーの活躍が著名。史上最多の世界ラリー選手権(WRC)王座を獲得したメーカーである。

ヴィットリオ・ヤーノ設計のマシンD50でから初期のF1世界選手権に参戦、同54年、ラリー・モンテカルロをアウレリアGTでグランプリでも走っていたルイ・シロンの手により優勝に導きもしたが、名ドライバーアルベルト・アスカリの事故死やランチア自身の経営危機から翌に活動を休止。全てのスタッフ及び設備をフェラーリが引き継ぎ、「ランチア-フェラーリ D50」として5勝を挙げている。

F1からは撤退したが、その後はラリーやル・マン24時間レースなどのスポーツカー世界選手権に活躍の場を移した。
ランチア地元ディーラーチームを母体としていたチェーザレ・フィオリオ率いる「HFスクアドラコルセ」(HF=High Fidelity:「アッカ・エッフェ」と発音する)の手によりラリーがWRC移行期である1970年代から1980年代にかけて、「フルヴィア 1.6HF」、「ストラトス」、「ベータ・クーペ」、「ラリー037」、「デルタS4」、「デルタHF」が世界ラリー選手権において活躍をみせた。現在では正式なワークス活動は行なっていない。

また、ストラトス~ベータ・モンテカルロでのグループ5仕様におけるタルガ・フローリオ、ジーロ・デ・イタリア、モンツァ、ルマンでのオンロードカテゴリでのチーム転向、参戦により、プロトタイプカーである「LC1」、「LC2」等のマシンもアバルト、ダラーラと共に生みだし、ワークス活動を休止させてもなお、有力プライベーターからのフィードバックよるチューン等のバックアップも惜しむ事無く続けられた。
第二次世界大戦前も「ラムダ」や「アプリリア」などが輸入されていたが、同大戦後は1950-1960年代に国際自動車商事が輸入代理店となって「アッピア」、「フラミニア」、「フラヴィア」、「フルヴィア」を販売したが、輸入台数は累計でも100台にも満たなかった。当時の「フルヴィア」のオーナーには作家の安部公房や写真家の花岡弘明などがいる。
1970年、厳しくなる安全・公害基準への対応が困難になり輸入中止となったが、1976年にはフィアットの代理店となった安宅産業系のロイヤル・モータースが対米仕様の「ベータ1800クーペ」の輸入を再開した。安宅産業の破綻後はやはり排気ガス規制で主力のオペルの輸入中止に追い込まれた東邦モーターズが継承し、パワーステアリング付きとなった「ベータ・クーペ」の輸入を継続した。日本向け仕様は、引き続き5マイルバンパーを採用したスタイルで、左ハンドルのみ、マニュアルトランスミッションのみの内容であったが、販売は伸びなかった。

1982年、ガレーヂ伊太利屋が正規輸入代理店となり、少数輸入枠を用いて、「ベータ・クーペ」やスーパーチャージャー付き「ベータ・トレヴィVX」、「ラリー037」などのモデルの輸入が開始された。同社は1998年まで正規輸入者の立場にあった。

1988年から1998年の間はマツダのオートザム販売網においても「テーマ」や「デドラ」が販売された。しかしオートザム系列の販売の主力は軽自動車であり、ランチアの併売は不調に終わっている。一方でこの時期、ラリーでの活躍ともあいまって「デルタ・インテグラーレ」は人気を得ていた。

1999年以降には正規の輸入販売は行われておらず、ガレーヂ伊太利屋などが並行輸入というかたちで販売を行っていた。2009年には、3代目デルタの右ハンドル仕様がフィアット・オート・ジャパンによって正規輸入されるとも噂されていたが、その後進展はみられなかった。

その後2012年11月、イプシロンがクライスラーブランドで発表され、同日にクライスラー販売網での発売を開始した。しかし2014年で販売が終了したことで、日本でのランチアの系譜は途絶えることとなった。

クリックで世界最大の辞書データベース「wikipedia」に記載されている「ランチア」の最新情報が見れます。

ランチアに関するよくある質問

ユーザーが疑問に感じている「ランチア」に関する質問集です。

ランチアの知りたいことや、みんなが疑問に思っている ランチアに対する質問がたくさんあります。詳しい人からの回答もたくさん集まっているので ランチアへの疑問が解消されます

ランチアに関する質問

クライスラー・イプシロンについて質問です。
クライスラー公式サイトで、今年で販売を終了したと載っていました。
クライスラー正規輸入車としての新車はもう買えないという事は分かったのですが、ランチアのブランド名で同車を輸入している他社のところの、今後のイプシロン取扱いも終了という事になるのか(なる方向に向かうのか)といった事情はどうなんでしょうか? 本国でモデルチェンジ等の為一旦扱いを中止し、その後再び輸入を再開といった段取りでの事なのか?あるいは販売が振るわず、やむ無く販売終了という”あるある”なのか?いずれにしてもちょっと興味のあったクルマだっただけに、ひっそり販売終了は寂しい気持ちになりました。

ランチア に関する質問

日本での新車販売を中止するとHPに書いてありました。
ご心配なく。
まだ輸入する手が残っています。
ただ右ハンドルではなくなり左ハンドルへ変更する可能性大です。
日本の排気ガス規制にあうマフラー、ウインカーの色、ラジオなど交換する部品が多く、その分お高くなります。
多くの輸入車を扱う販売店がありますから、経由して購入する手もあります。
まずは安心でしたね。

ランチアに関する回答

ランチアに関する質問

みなさんはティーポ4兄弟のどのクルマが好きですか? ちなみに私は断然ランチア・テーマです。
それも、できればターボをチョイスしたいです。
たくさんの回答、お待ちしております。

ランチア に関する質問

うーん質問も貴方の好みも実に渋いですねえ… 私もランチアに一票、といきたいところですが貴方がランチアなので私はあえてフィアットに。
ランチアのように一見地味ながら実に上品で、輝かしい歴史を持つブランドというのはなかなか他では得がたいですね。
現状は寂しい状況となっておりますが、このブランドの価値はイタリア人自身がよく解っている筈です。
いつか必ず再び魅力的なイタリア発のニュー・カーが出てくると信じています。
実は私もランチア・オーナーです。
フィアットを選んだ理由ですが、このデザインシンプルながら凄いですよ。
僕はまだガキでしたがこのクロマとかティーポを見て自動車のデザイナーになろうと一時本気で考えましたくらいです。

ランチアに関する回答

ランチアに関する質問

ランチアデルタインテグラーレに憧れている者です。
4歳の頃から、父親の撮ったデルタのラリーのビデオをテープが擦り切れるほど見ていたことを記憶しています。
私は現在学生で免許はもっていませんが、将来必ず愛車にしたい車です。
免許を取得後、生活が安定してデルタの維持をしっかりできるようになるまで何年かかるかわからない現状で、そのときまでいい状態のデルタが存在しているかどうかとても心配です。
そこで、デルタインテグラーレは5年後、10年後も乗れる状態で存在しているでしょうか? どうか、安心のできる回答をお願いします。

ランチア に関する質問

むしろ程度は良い物しか残れないでしょう。
悪いものはすでに淘汰されつつありますから…更に10年後というならそこそこの程度以上で無ければ残れないでしょう。
ただ、ネオヒストリックカーの域に入ってきてますから相場は上がる方向でしょうね。
すでに売られてる物の多くは商品化の為に相当手を入れてますから価格もそれなりなってます。
車の特性上荒く扱われた個体も多いから程度の良い物は残存数が少ないでしょう。
専門に扱ってるショップが結構あるからそういう所に頼るしかないですが、インテグラーレはラリーマシンで特殊な車なので維持は結構大変なようです。
知人のオールドアルファなんかでイタリア車暦30年という手練の人物が手に負えなくて手放した位ですから。
維持の難易度は相当高いと考えた方が良いです。

ランチアに関する回答

ランチアに関する質問

ランチアデルタを所有しています。
最近ドアのサッシ部分の塗装が経年劣化で剥がれ落ちてきています。
元々サッシ部分はつや消しの黒で塗装されているんですが、奥からクロームメッキが現れました。
これは一体どういうことでしょうか? ご存知のかた教えて下さい。

ランチア に関する質問

デルタ1500のサッシを、そのままインテグラーレに流用しているから です、デルタ1500は普通のファミリーカーで、サッシはメッキでした が、デザイン上で黒に塗った物です。

ランチアに関する回答

ランチアに関する質問

つい最近、2006年式ランチアテージスを購入したのですが、シートヒーターのON/OFの方法がわかりません。
どなたか、ご存知でしたらお教えください。
宜しくお願いいたします。

ランチア に関する質問

メモリー機能付きオートシートのスイッチ部分の、背もたれ操作スイッチと、ヘッドレスト操作スイッチ(ランバーサポートだったかな?)があり、それらの間に小さなダイヤル式のスイッチがありますよね? そのスイッチがシートヒータースイッチで、その温度調整の目盛が「0」~「3」段階あるはずですが、そこを「0」に回せばオフになるはずですよ。

ランチアに関する回答

【動画】車・バイクニュース

【動画だから100倍楽しめる】YouTube車・バイク動画(すべて見る)

見て楽しむニュース

【動画だから100倍楽しめる】見て楽しむ車・バイクニュース(すべて見る)

【速報】車・バイクニュース

完全無料で話題の車・バイクニュースがすぐに読める(すべて見る)

【話題】今話題の動画

SNSで1000いいね!以上の話題の動画(すべて見る)