匿名さん
プロレスはこれから、どうなるのですか? なくなることはないですよね・ 、、、、、、、、、、 大阪プロレス“聖地”が5年の歴史に幕 デイリースポーツ 10月20日(土)22時35分配信 拡大写真 2階席から、試合を観戦するファン=大阪ミナミムーブオンアリーナ 大阪の常設プロレス会場、大阪市中央区の「ミナミムーブオンアリーナ(通称・Mアリ)」が20日、同所を本拠地とする大阪プロレスの興行を最後に、プロレス会場としての歴史にピリオドを打った。
11月の大阪プロ本拠地移転に伴うもの。
約5年間親しまれてきた“聖地”の閉鎖を惜しむファンで客席は超満員となった。
Mアリは07年9月、当初の大阪プロの本拠地「デルフィンアリーナ」が入っていたフェスティバルゲート(大阪市浪速区=現在は消滅)から移転する形で「デルフィンアリーナ道頓堀」としてオープン。
その後、団体創始者であるスペル・デルフィン(現・和泉市議会議員)の退団もあり、09年5月に現在の名称となった。
大阪プロがほぼ毎日興行を行っていたMアリは旅行誌にも紹介され、観光名所としての一面もあった。
週末には他団体にもレンタル。
リング常設、交通アクセス良好、席数272という手ごろな広さ、さらに2階席からリングを真上から見下ろせる吹き抜け構造が好評で、インディーから女子まで様々な団体が利用した。
日本で最も多く試合が行われる、大阪の“プロレスの聖地”ともいえる場所だった。
悲しい事件もあった。
09年6月14日、多くのインディー団体を渡り歩いてきた名物レフェリー、テッド・タナベさんが試合を裁いた直後に倒れ、翌15日に急性心筋梗塞により死去。
テッドさんの最後の勝ち名乗りを受けたビリーケン・キッドは、当時のことを「本当につらかった」と思い出しながらも「この会場では色んなことがあったけれど、最後は笑って終われれば」と前を向く。
この日の興行は、テッドさんの遺影が見守る中で行われた。
Mアリのラストマッチとなった、大阪プロのバトルロイヤル選手権を制したくいしんぼう仮面は「(自身のモチーフである)くいだおれ太郎にはミナミを引き続き盛り上げてもらって、僕はこれからはキタを盛り上げます。
梅田周辺は再開発が進んで注目されている地域。
この時期に移転できるのはラッキーだと思う。
上昇気流に乗っていきたい」と、新会場での活躍を誓った。
大阪プロの新本拠地となる「ナスキーホール・梅田」は東梅田の映画館跡地を改築した約350席のホールで、11月17日にこけら落としの予定。
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