匿名さん
1986~1994年の間、西武ライオンズが常勝軍団になれたのは、この時期に監督であった森祇晶の手腕・采配が必ずしも有能だったからではないと思いますか?古い話で恐縮します。
西武常勝軍団形成の歴史を辿ると、堤義明率いる西武鉄道がクラウンライターからライオンズを買収して西武ライオンズになったのが1979年であり、後にGM的な役割を担い優秀な選手をドラフトで入団させる根本陸夫が監督の頃に西武の豊富な資金力をバックに他球団から補強を行い、野村克也・田淵幸一らを獲得しました。
根本の後任監督になった広岡達朗は根本から、「優勝できる戦力は整っている」と言われ、自身がその前に監督をしていたヤクルトと球団の理念がマッチしていると判断して監督を引き受けました。
広岡はヤクルト時代と同様に管理野球を施し、妥協を許さぬ厳しい指導で怠け者球団であった西武を優勝させました。
広岡とベテラン選手の間では、度々不協和音が起こっていました。
広岡の後を受けた森は1年目から日本一を達成し、西武監督在任9年間で日本一6回、ペナント優勝8回の偉業を達成しました。
森の西武監督時代の成績を見ればとても優秀に見えるですが、横浜監督時代には2年目にシーズン途中で休養→成績不振で解任されることになり、横浜を解任されてから森の監督としての能力に疑問を持たれ始め、「西武時代にあれだけ優勝できたのは、森が優秀だったからではなかった。
前任の広岡が常勝軍団を築き、アマ界に人脈豊富な根本が有能な選手を毎年ドラフトで入団させたことや、西武総帥の堤が口を出さず金を出してくれたことが森の西武監督時代の成績を生み出した」などと称されるようになりました。