匿名さん
ウェイン・レイニーのWGP初参戦の年である1988年にレイニーはゼッケンナンバー17を付けていましたが、なぜ「17」だったのでしょうか? 理由をご存知の方がいらっしゃったら教えてください。
あと1995年、ノリックがWGPに初めてフル参戦した年もやはり「17」を付けていましたが、これは当時レイニーの指導を受けていたノリックがレイニーからナンバーを受け継いだ、という解釈で間違いないでしょうか? よろしくお願いします。
匿名さん
ウェイン・レイニーのWGP初参戦の年である1988年にレイニーはゼッケンナンバー17を付けていましたが、なぜ「17」だったのでしょうか? 理由をご存知の方がいらっしゃったら教えてください。
あと1995年、ノリックがWGPに初めてフル参戦した年もやはり「17」を付けていましたが、これは当時レイニーの指導を受けていたノリックがレイニーからナンバーを受け継いだ、という解釈で間違いないでしょうか? よろしくお願いします。
レイニーさんの理由はわかりませんが、ノリックは全日本デビューが17歳だったのでゼッケンは「17」でした。
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匿名さん
ウェイン・レイニーのWGP初参戦の年である1988年にレイニーはゼッケンナンバー17を付けていましたが、なぜ「17」だったのでしょうか? 理由をご存知の方がいらっしゃったら教えてください。
あと1995年、ノリックがWGPに初めてフル参戦した年もやはり「17」を付けていましたが、これは当時レイニーの指導を受けていたノリックがレイニーからナンバーを受け継いだ、という解釈で間違いないでしょうか? よろしくお願いします。
GPライダーとヘルメットについて。
現在Araiの真っ白のヘルメットをかぶっているのですが、 カッティングシートを使って自作レプリカメットを作りたいと思っています。
しかし、Araiのヘルメットに、白・赤をベースに塗っているライダーが中々出てこないので、 皆さんに意見を頂戴したいのです。
皆さんにとって、ヤマハのライダーって言ったらこの人だろう!という人物と、 その人のメットのメーカーを教えてください。
年代は特に気にしていません。
最近のライダーでも、昔のライダーでも。
ちなみに僕は、にわかですが、エディー・ローソンとウェイン・レイニーと平忠彦さんが好きです。
(しかし二人はSHOEI、平さんはすでにレプリカがあるんですよね…) 私は今XJR400R'96に乗っていて、下手くそながらも自分でいわゆるストロボカラーにしています。
今後もヤマハのバイクがメインで乗っていきたいので、 ライダー自体はヤマハのライダー固定でお願いしたいです。
ウェイン・レイニー に関する質問
ケニーロバーツが入ってない! オリジナルなんだかメーカーは気にしなくて良いのでは?
貴方の知る、最高のライバル関係は? どんなスポーツでもかまいません。
貴方が最高だと思う、ライバル関係を理由・思い入れ・エピソードなどで教えて下さい。
私が最高だと思うライバル関係は2輪のGP500における、 「ウェイン・レイニーとケビン・シュワンツ」 です。
私はGPよりF1のほうが好きなのですが、この2人の戦いは セナとプロスト の比ではなかったですね。
何より素晴らしいと思うのは、どんなに激しく争っていても相手をコースアウト・リタイアさせるような事は絶対にせず、 抜かれたら抜き返せば良いという 「本当の意味での誇り・プライド」 を教えてくれたからです。
89年の日本GPはこの2人の全てが出ていると思うし、私が見た全てのモータースポーツのなかでも最高のレースなんです。
そしてシュワンツ悲願の初タイトルは、レイニーの再起不能という悲劇によって決まりました・・・。
本当に 「悲しい・虚しい」 タイトルになってしまったんです・・・。
翌年、念願のゼッケン1をつけた筈のシュワンツはレイニーの不在によって、まるで抜け殻・別人のようになってしまい、 その翌シーズン序盤で引退してしまいます・・・。
本当に映画・ドラマにできるようなストーリーだと思うし、相手の存在こそが自分の存在証明だったといえる関係でした・・・。
ウェイン・レイニー に関する質問
セナプロ以上というのがすごいですね! ライバルと言っても私はたまたまテレビで見ただけなのですが、 剣道の確か全国大会決勝だったと思います。
面を打つ早さではその人の右に出るものはいないと言われたAという人がいました。
そして総合力で優れたBという人がいました。
Aは目にも留まらぬ速さで面を打ってきてどんどん勝ち進んできました。
そこで決勝戦でBは作戦を考え、常に胴ばかり打っていました。
Aも胴を警戒します。
するとAの竹刀はその度に胴の位置に下がるのでなかなか面が打てません。
そしてここぞというときにBは今までどおり胴を打つと見せかけてそのモーションのまま面を放ちました。
Aはしまった~と思い、素早く得意の面を打ち込みました。
もちろん打ち始めたタイミングはBより遅いのですがそこはさすがのA、 まさに目にも留まらぬ速さでした。
Aのさっと動きを変えた素早い面の対応は見事で、 「しまったっ、上かぁ~~!!」と言うAの声が聞こえてきそうです(笑) そして両者共みごとに面が決まりました。
誰の目にも両者相打ちに見えました。
そしてビデオ判定の結果、わずか0.何秒差でBの面が先に決まっていました。
この試合、かっこよすぎです。
解説を聴かなかったらただの相打ちの試合だと思っていたでしょう。
やはり剣道なり何でもその道を極めた人のかけ引きってのはすごいものがありますね。
しびれました!
スポーツ界の伝説 マイケルジョーダン、マラドーナ、ジョーモンタナ、ウェイングレツキー、フェデラー、ロッキーマルシアーノ、 アイルトンセナ、レイニー、タイガーウッズ、ノーランライアン、ウサインボルト、マイケルフェルプス、郎平など 各スポーツにはレジェンドと呼ばれる人がいますが、一番すごいと思う人は誰ですか。
私は、他の人はすごい人間だけど、神という観点から、ダントツでマイケルジョーダンだと思います。
(すごいと思う人は?と聞いておいて、「神」と思うという回答は矛盾してますが・・・)
ウェイン・レイニー に関する質問
ジョーダンがバスケットボールの神なら、ボクシングの神がモハメッド・アリです。
☆ 85~90年代全般の、最高峰ロードレース世界選手権500ccクラス参戦のワークス・チームの装着タイヤ・メーカーを教えて頂けませんか? フレディ・スペンサー、平忠彦、エディ・ローソン、ワイン・ガードナー、 ウェイン・レイニー、ケビン・シュワンツ、マイケル・ドゥーハンあたりの 特に、500ccタイトル獲得時の装着タイヤを教示下さいませ。
ウェイン・レイニー に関する質問
ほとんどミシュランです。
唯一レイニーがチームロバーツの時に ダンロップだったと思います。
ケビン.シュワンツとウェイン.レイニーが80年代後半から90年代に活躍したライダーだと思うんですが 詳しく知っている方がいましたら教えてください。
ウェイン・レイニー に関する質問
二人とも80年台後半から90年代にかけて活躍したライダーですね。
90年初頭頃が二人の絶頂期で、90/91/92年にレイニーが、93年にシュワンツが王者を獲得しています。
この頃は当代一を争う二人に加えて、一世代前の王者エディー・ローソン&ワインガードナー、次世代の王者候補ミック・ドゥーハン&ジョン・コシンスキーもいたのでテレビ中継などでは「6強」と呼ばれていました。
大変豪華な時代でした。
シュワンツとレイニーはともにアメリカ人。
年自体はレイニーがシュワンツより4つ上でしたが、アメリカ国内時代(AMAスーパーバイク)からのライバルでした。
シュワンツは当時ヨシムラスズキのライダーで、WGP500cc昇格以降もずっとスズキです。
レイニーはスーパーバイク時代はカワサキ・ホンダで、WGPに移ってからはアメリカの偉大な先輩・ケニー・ロバーツ率いるチームロバーツ、マシンはヤマハでした。
ライディングスタイルはシュワンツの方はレイトブレーキングと変幻自在のライン取りを駆使した接近戦を得意としており、混戦状態・マッチレース等には部類の強さを発揮しましたが、独走状態になると集中できないのかよく転んでいました。
レイニーはシュワンツとまるっきり正反対で、独走を得意とし、スタートを決めてそのまま独走というのが多かったです。
また、勝てないと分かったら順位をキープするなどの堅実さも兼ね備えており、その堅実さが3年連続王者獲得の原動力にもなっています。
この二人のバトルは最高でした。
89年の鈴鹿や91年のホッケンハイムなどは今でも語りぐさで、接近戦を得意とするシュワンツの勝利に終わりますが(これらのサーキットは最後の勝負所にシュワンツが得意とするシケインがあったのもキモ)、レイニーもシュワンツとの勝負は引くことが出来なかったようで、幾度となく名勝負を演じています。
レイニーの4年連続王者が掛かっていた93年。
この二人の王者争いが激しくなってきたまさにその最中(ランクトップだったシュワンツをレイニーがついに逆転したとき)、レイニーは第12戦イタリアグランプリで激しく転倒し、下半身不随となってしまいます。
このクラッシュでシュワンツ初戴冠が確実となりましたが、シュワンツは「彼の怪我が治るならタイトルはいらない」という言葉を残しています。
レイニーがいなくなってしまった94年。
シュワンツは精細を欠き、セカンドライダーのダリル・ビーティーにも遅れを取るようになりました。
ビーティーに道を譲るというシュワンツらしくない姿をさらした第3戦日本GPの後、シュワンツとレイニーは長い時間話し合い、シュワンツもGPから引退を決意したと言います。
引退時のシュワンツのポイントは奇しくも、彼の愛した番号「34」でした。
これで一つの時代が終わり、ミック・ドゥーハンの専制時代が始まることになります。
ウェインレイニーさん。
私の神様です。
パワーの劣るマシンでコーナーを誰より攻めてアクセルをあける姿に感激しました。
当時リアルタイムで放送を見て、レイニーが優勝すると本当に嬉しかったです。
93年残り数戦ランキングトップで起きたアクシデント。
あれがなければ4連覇確実だったと思います。
なぜレイニーは得意なコースのはずのミサノでトップ独走中にもかかわらず転倒したのでしょうか?あの転倒の少ないレイニーが…。
最近のインタビュー記事には「ツッコミが速すぎた」と語ってました。
4連覇成功したら、94年は250とWエントリーを考えてたらしいです。
レイニーの250の走りも見たかったです。
レイニーさん、心から素晴らしい本当にレースありがとう!!
ウェイン・レイニー に関する質問
これについては、文藝春秋社の『Sports Graphic Nunber』の419/’97年6月5日号と420/同年6月19日号に掲載され、後に同誌掲載ノンフィクション作品のアンソロジー集である『Sports Graphic Number ベスト・セレクション』の第3集にも収録された高山文彦氏の作品『汝自身の神』の中でレイニー自信が述懐したくだりが詳しいかと思います。
http://www.amazon.co.jp/Sports-Graphic-Number%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%80%883%E3%80%89-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%ABPLUS-%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC/dp/4167660547(←PC向けページにてあしからず。
商品は文庫版です) ちょっと抜粋してみましょうか。
「第一コーナーに突っ込むのには速すぎたんだ。
だからバイクを深く寝かし込まなければならなかった。
それでもバイクはまっすぐ行こうとする。
僕はより深くバイクを寝かせていく。
このふたつのことを目いっぱいバランスさせて、アクセルを開けたんだ。
そこでクラッシュした。
(後略)」 解釈するに、アクセルオンのタイミングがホンの僅か早過ぎたか、タイミングは良かったけどホンの僅か開け過ぎたかのいずれかではなかったのでしょうか。
オーバースピードで突っ込んだことの帳尻を合わせながらの、通常より一層繊細なコーナリングだったから、その分破綻しやすかった――ということだったんでしょう。
質問文中に“独走”とありますが、レイニーの認識はそうじゃなかった。
3位のシュワンツを、9周してようやく1秒離せるかどうかという状況にかなりの苛立ちと焦りがあったようです。
このシーズン、レイニーのメンタルはかなり切迫した状況で、シーズンを進めるごと自分を追い詰め、深刻な虚無感に取り憑かれていく中レースを戦っており、あるいはミサノの一件は“それゆえに起きた事故”と言えるのかもしれませんね。
彼の言葉を拾ってみましょう。
「家庭的には幸福だったよ。
でも個人的にはもう、こころが躍る、血が騒ぐということはなくなっていた。
レースで得られるすべての感情、感覚は味わってしまった。
でも、やらなくちゃいけないのだとわかっていた。
チャンピオンというものになる、ただそれだけのために。
やるからには二位、三位なんて考えられなかった。
思いつめていたんだ。
これはほかのだれでもない、僕自身にとってよくないことだった。
自分自身をとても危険な場所に追い込んでしまっていた」 「ケニー(・ロバーツ)や(妻の)シェイからは何度も、そう深刻にならないで、もっと気楽に、と言われたけれど、とてもそんな気持ちにはなれなかった。
もっと向上しなくては、とあせっていた。
ミスを許せるゆとりがどこにもなかった。
自分というものの限界を高めようと、トレーニングばかりしていた。
けっして満足はしていなかった。
でも、もう限界のところまで来ていたんだ。
その先はなかったんだ。
この怪我をして初めてわかった・・・・・・」 「('93年のチェコGP独走優勝直後の精神状況について)ケビンを11ポイントリードして、チャンピオンに手が届きそうになってきたというのに、僕のこころは幸せを感じていなかった。
レース中も家族のことばかり考えていた。
レースにのぞむ動機は充分だったんだけど、鈴鹿(←注:同年の日本GP決勝レース中)のような充実感はまったくなかったんだ。
あんなもの、チャレンジじゃない。
たくさん勝っていると、いくつ勝っても同じなんだ。
翌日(←注:チェコGP決勝翌日)ひとりになったとき、わけのわからない感情に押し流されて泣いてしまった。
こころに大きな穴があいたようで、とてつもなく不幸な感情に襲われた」 “4連覇後の2クラスエントリー”というプランも、憶測にはなりますが「自分を奮い立たせ、心の葛藤を乗り越える為の懸命の取り組み」のひとつだったのではないでしょうか。
それを逆説的に裏付けているように思えるのが、事故後の容態が峠を越し、家族との面会後病室に通されたロバーツにレイニーが語りかけた言葉です。
「ケニー、僕は大丈夫だから。
もう一生歩けないだろうけど、僕なりになにかやっていくさ。
かえって事故に遭って幸運だったかもしれない。
レース・イズ・オーバー、これからは自分で自分の道を決められるんだ」 以上、長文失礼しました。
ウェイン・レイニー人気ないですか? 個人的に好きなんですが、シュワンツやガードナーのほうが、ここのカテでは人気ありそうですね。
ロッシの話題ではないので年齢がばれそうですが・・・
ウェイン・レイニー に関する質問
群雄割拠の時代。
しかも鈴鹿8対が、最も加熱した時代。
いい時代だった。
GPで活躍したライダーは、必ず8対に顔を出した。
その中の一人がウェイン・レイニーその人。
この時代のライダーは、皆強かった。
半身不随の今、私の記憶は、レイニーを伝説のライダーに押し上げた。
もう、走る姿は見れないから。
鈴鹿でもらったサインは、今も健在。
MotoGP ライダー 今日は、HONDA HRCのストーナーが地元フィリップアイランドで優勝 チャンピオンも獲得しました。
今年の上位三人 ストーナー ロレンソ ペドロサ 皆さんは、この三選手をどう評価しますか。
私は、 ストーナーは純粋に速い 往年のウェインレイニーを彷彿させる面があります。
しかし、接戦時は精神的な面も含めて少し弱いかなと思います。
ロレンソ 今年はチャンプを逃したが、マシンの性能差が大きかった気がします。
速さ、手堅さは三人の中で随一 マシンが対等ならストーナーより上だと思います。
ペドロサ 速いけれど、怪我をしやすく肝心な時に期待に応えられてない感があります。
今後も時折勝ちはするけれど、ストーナーと同じチームにいては正直厳しいと思います。
ロッシはあえて外しました。
今年はドカで苦難を浴びましたが、いまだ実力は随一だと思いますので。
ウェイン・レイニー に関する質問
ストーナーの独走はダントツで速いと思います。
昔からバトルは得意ではなかったみたいですね。
比べてロレンソはバトルは強いけれど、独走で勝つレースが少なくなってきている気がします。
ペドロサはそのときの精神状態に左右されるみたいですね。
250時代はすごく安定してたと思いました。
来年以降は1000CCに変更で誰がタイトルか予想がつかないです。
でもストーナーは期待通りの結果を残すのではないかなと思います。
私の希望ですがドカティの2人が好成績になるといいなと思います。
ウェイン・レイニー ワイン・ガードナー 名前の綴り ワイン・ガードナーとウェイン・レイニー 二人のWGPライダーの個人名はWayneですが、どうしてウェイン・ワインと表記が違うのでしょうか。
ガードナーはオーストラリア、レイニーはアメリカですが・・・
ウェイン・レイニー に関する質問
日本ではオーストラリア英語なんて呼ばれ方をしますが、オーストラリアではアメリカ英語と違いAをエイではなくアイというように聞こえる発音します(訛りですからもちろん全員が全員そうではありません)。
普通の日本人の耳には、オーストラリア人が話すtodayがトゥデイではなくトゥダイ、Raceがレイス又はレースではなくライス又はラース、baseballlはバイスボール・・・・と聞こえる、ということになり、実際ドゥーハンの英語はこんな感じでした(ガードナーはわかりません)。
Wayneもオーストラリア英語だと日本人の耳にはワインと聞こえることになり、実際ガードナーも自分の名をウェインではなくワインと聞こえるような発音で話していたから日本語表記がワインになったのでしょう。
ちなみにこの訛りはコックニーと呼ばれ、元はロンドンの下町言葉、ブルカラーの使う言葉であまり綺麗な言葉ではありません。
最近あまり見かけなくなりましたがイギリスフットボール界の大スターであるデイビット・ベッカムはこの使い手として有名でかなり訛っています。
知り合いのメルボルン育ち(アルバートパークの近くだそうです)のオーストラリア人にはこのような訛りはありませんでした。
ドゥーハンやガードナーは訛っているけど君は訛っていないね、と聞いたら彼らは田舎者だから、と語っていました。
レイニーとガードナーがお互いをどう呼んでいたのかが気になるところです。
こんにちは。
GP500について皆さんの感想を聞きたいです。
もしウェインレイニーが事故による負傷で引退していなかったら90 91 92年に続き93年もチャンピオンになっていたでしょうか? レイ ニーのライバルであるシュワンツの引退も長引いていたんでしょうか? 非常に噛み合ったライバル関係だったのでレイニーの事故によるライバル関係の終わりがとても衝撃的でした。
レイニーが引退したことによりシュワンツもライバルを失ったショックでスランプになり引退…… あの二人のレースをもっと私は見たかったです。
皆さんの感想もお聞かせ下さい。
ウェイン・レイニー に関する質問
あのアクシデントがなければレイニーが93年もチャンプになっていたでしょう。
もう、ミザノを入れて残り三戦でしたから。
それは間違いないと思います。
ただロマンを壊すようですが、あのクラッシュ直前、レイニーが意識していたのはシュワンツではなく、チームメイトのカダローラだったと思います。
カダローラも、この年は非常に好調でドニントンではレイニーを抑えて勝っているし、あのミザノも序盤トップを走っています。
レイニーはあの時、カダローラを引き離そうと躍起になっていた筈です。
相手は誰であれ兎に角、今のレースを全力で走り勝つというレイニーのストイックな姿勢が、あの時は裏目に出てしまったのだと私は思います。
シュワンツも93年は最高の状態に仕上げて挑んでいたでしょう。
92年は失意で終わり、そこから粘り強く立ち直ってきました。
あのドニントンでドゥーハンの転倒に巻き込まれなかったら、レイニーのアクシデント如何に関わらずシュワンツがチャンプだったでしょうし。
シュワンツにしても、それが最高のチャンプの取り方だったでしょう。
私はシュワンツはレイニーのアクシデントが無くとも史実同様95年くらいで引退していたと考えます。
彼の手首の問題を抱えていましたから。
いずれにしても両者が繰り広げたバトルは、最高に胸を熱くさせましたよね。
良い時代でした。
過ぎて見ると気がつくものです。
ウェイン・レイニーのWGP初参戦の年である1988年にレイニーはゼッケンナンバー17を付けていましたが、なぜ「17」だったのでしょうか? 理由をご存知の方がいらっしゃったら教えてください。
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レイニーさんの理由はわかりませんが、ノリックは全日本デビューが17歳だったのでゼッケンは「17」でした。
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