ウェインレイニーさん。私の神様です。パワーの劣るマシンでコーナーを誰より攻めてアクセルをあける姿に感激しました。 当時

ウェインレイニーさん。私の神様です。パワーの劣るマシンでコーナーを誰より攻めてアクセルをあける姿に感激しました。	 当時

ウェインレイニーさん。私の神様です。パワーの劣るマシンでコーナーを誰より攻めてアクセルをあける姿に感激しました。 当時リアルタイムで放送を見て、レイニーが優勝すると本当に嬉しかったです。93年残り数戦ランキングトップで起きたアクシデント。あれがなければ4連覇確実だったと思います。なぜレイニーは得意なコースのはずのミサノでトップ独走中にもかかわらず転倒したのでしょうか?あの転倒の少ないレイニーが…。最近のインタビュー記事には「ツッコミが速すぎた」と語ってました。4連覇成功したら、94年は250とWエントリーを考えてたらしいです。レイニーの250の走りも見たかったです。レイニーさん、心から素晴らしい本当にレースありがとう!!

これについては、文藝春秋社の『Sports Graphic Nunber』の419/’97年6月5日号と420/同年6月19日号に掲載され、後に同誌掲載ノンフィクション作品のアンソロジー集である『Sports Graphic Number ベスト・セレクション』の第3集にも収録された高山文彦氏の作品『汝自身の神』の中でレイニー自信が述懐したくだりが詳しいかと思います。 https://www.amazon.co.jp/Sports-Graphic-Number%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%80%883%E3%80%89-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%ABPLUS-%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC/dp/4167660547(←PC向けページにてあしからず。商品は文庫版です) ちょっと抜粋してみましょうか。 「第一コーナーに突っ込むのには速すぎたんだ。だからバイクを深く寝かし込まなければならなかった。それでもバイクはまっすぐ行こうとする。僕はより深くバイクを寝かせていく。このふたつのことを目いっぱいバランスさせて、アクセルを開けたんだ。そこでクラッシュした。(後略)」 解釈するに、アクセルオンのタイミングがホンの僅か早過ぎたか、タイミングは良かったけどホンの僅か開け過ぎたかのいずれかではなかったのでしょうか。オーバースピードで突っ込んだことの帳尻を合わせながらの、通常より一層繊細なコーナリングだったから、その分破綻しやすかった――ということだったんでしょう。 質問文中に“独走”とありますが、レイニーの認識はそうじゃなかった。3位のシュワンツを、9周してようやく1秒離せるかどうかという状況にかなりの苛立ちと焦りがあったようです。 このシーズン、レイニーのメンタルはかなり切迫した状況で、シーズンを進めるごと自分を追い詰め、深刻な虚無感に取り憑かれていく中レースを戦っており、あるいはミサノの一件は“それゆえに起きた事故”と言えるのかもしれませんね。 彼の言葉を拾ってみましょう。 「家庭的には幸福だったよ。でも個人的にはもう、こころが躍る、血が騒ぐということはなくなっていた。レースで得られるすべての感情、感覚は味わってしまった。でも、やらなくちゃいけないのだとわかっていた。チャンピオンというものになる、ただそれだけのために。やるからには二位、三位なんて考えられなかった。思いつめていたんだ。これはほかのだれでもない、僕自身にとってよくないことだった。自分自身をとても危険な場所に追い込んでしまっていた」 「ケニー(・ロバーツ)や(妻の)シェイからは何度も、そう深刻にならないで、もっと気楽に、と言われたけれど、とてもそんな気持ちにはなれなかった。もっと向上しなくては、とあせっていた。ミスを許せるゆとりがどこにもなかった。自分というものの限界を高めようと、トレーニングばかりしていた。けっして満足はしていなかった。でも、もう限界のところまで来ていたんだ。その先はなかったんだ。この怪我をして初めてわかった・・・・・・」 「('93年のチェコGP独走優勝直後の精神状況について)ケビンを11ポイントリードして、チャンピオンに手が届きそうになってきたというのに、僕のこころは幸せを感じていなかった。レース中も家族のことばかり考えていた。レースにのぞむ動機は充分だったんだけど、鈴鹿(←注:同年の日本GP決勝レース中)のような充実感はまったくなかったんだ。あんなもの、チャレンジじゃない。たくさん勝っていると、いくつ勝っても同じなんだ。翌日(←注:チェコGP決勝翌日)ひとりになったとき、わけのわからない感情に押し流されて泣いてしまった。こころに大きな穴があいたようで、とてつもなく不幸な感情に襲われた」 “4連覇後の2クラスエントリー”というプランも、憶測にはなりますが「自分を奮い立たせ、心の葛藤を乗り越える為の懸命の取り組み」のひとつだったのではないでしょうか。 それを逆説的に裏付けているように思えるのが、事故後の容態が峠を越し、家族との面会後病室に通されたロバーツにレイニーが語りかけた言葉です。 「ケニー、僕は大丈夫だから。もう一生歩けないだろうけど、僕なりになにかやっていくさ。かえって事故に遭って幸運だったかもしれない。レース・イズ・オーバー、これからは自分で自分の道を決められるんだ」 以上、長文失礼しました。

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ウェインレイニーさん。私の神様です。パワーの劣るマシンでコーナーを誰より攻めてアクセルをあける姿に感激しました。 当時リアルタイムで放送を見て、レイニーが優勝すると本当に嬉しかったです。93年残り数戦ランキングトップで起きたアクシデント。あれがなければ4連覇確実だったと思います。なぜレイニーは得意なコースのはずのミサノでトップ独走中にもかかわらず転倒したのでしょうか?あの転倒の少ないレイニーが…。最近のインタビュー記事には「ツッコミが速すぎた」と語ってました。4連覇成功したら、94年は250とWエントリーを考えてたらしいです。レイニーの250の走りも見たかったです。レイニーさん、心から素晴らしい本当にレースありがとう!!

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