元中日の田辺修投手を知ってますか? 1970年 一塁側ブルペンにいた大島コーチは気が気でなかったという。後半はブルペン投手のように背を向け、マウンドに向かって叫び続けた「落ちついて。低めへ投げろ」最後の打者バレンタインが見逃しの三振に倒れると、水原監督が真っ先にマウンドへかけのぼり、大島コーチがつづいた。今シーズン小川、伊藤久につぐ三人目の完投投手の誕生だ。大黒柱の小川を失い、非常事態がしかれている投手陣。それをあずかる大島コーチはうれしさのあまり「よく投げてくれた。スピードもあったしコントロールもよかった。連投で心配だったがほんとうによくがん張ってくれた」とロッカーの中をうろうろ歩き回っていた。「まぐれまぐれ。インコース寄りのシュートがよく決まったし、コントロールがよかった」田辺の方がむしろ落ちついていた。四十一年八月十七日の対東京(現ロッテ)十八回戦以来の完投勝利。「この前の完投勝ちはいつだったかすっかり忘れてしまった」と思い出せないのも仕方のないことだろう。この夜の先発は、「ローテーションからいくと、星野仙の番」(大島コーチ)だったが、二十二日に星野仙が左足に打球をぶつけ痛みがとれないため急に前夜リリーフに出た田辺に再びリリーフの役がまわった。それが五回まで三人ずつ、きれいに片づける完全試合ペース。「うすうす知っていました。だけどぼくの体力と実力ではできるとは思わなかったので、コースにていねいに投げました」大記録の楽しみも、六回先頭の後藤に中前へたたかれてのがし、そのうえ1点をとられて追いつかれたときは「ガクッとしてからだ中の力がぬけた」そうだ。それだけに七回の勝ち越し点は「これでまたいけるという気がしてきました」と顔をくずした。昨年近鉄を自由契約になり、中日に拾われるように入団。キャンプ中から「スピードはチーム一だ。なんとか一本立ちさせたい」と田辺の成長を夢見てきた水原監督の願いも、どうやらかなえられそうな気配になってきた。この三月には長男浩一君が誕生。毎日グラウンドでは、子供の話になるとからだを乗り出す親バカぶり。だが「赤ん坊が夜泣いてうるさくてねむれない」と名古屋で試合のあるときは、中村区向島の合宿に寝とまりして、コンディションの調整にはげむ気の使いようだった。「近鉄にいるときは、毎日毎日がもうなれっこになって、どうでもよいという投げやりな気があった。でも中日に移ってからは、ルーキーだというフレッシュな気持ちでやっているのがよいんでしょう。試合で投げることだけがうれしい」とひねた新人は目を縮めた。「さあ、あすからは大事な遠征。今夜はゆっくり休んでくれ」大島コーチはタカラものを扱うように、帰り支度をする田辺の肩をかかえていた。