元近鉄のミケンズ投手を知ってますか? 1960年 先発のミケンズは試合前きげんがよかった。
島田に「大丈夫? 」と肩をたたかれると「ダイジョーブ。
うまくやるね」とカタコトの日本語でこたえた。
ボトラにくらべ日本語をおぼえるのは遅かったが、最近は愛娘ショーンちゃん(2つ)の「おやすみなさい」「おはよう」とパパを上まわる上達ぶりにすっかり刺激されて日本語がうまくなった。
上きげんなのは先発投手となったからだ。
「アメリカではぼくはずっと先発投手。
先発なら七回ごろまで投げてリードしておればすぐリリーフ専門にリレーする」だから先発は得意だというわけ。
こんなところは実にわり切っている。
リリーフはいやだから三日休んで先発させろ、とづけづけいうし、三日の南海十九回戦でも勝利投手になるためにもう投げないといいだしたり、千葉監督をさんざんてこずらせ「外人選手はわり切っているがここまで個人主義に出られては・・・」とあきれさせたりする。
この日も六回2-0とリードすると「もうぼくの責任はすんだ。
リリーフを出せ」といいだした。
瀬口通訳はミケンズがこういいだすとベンチをとび出してかくれてしまった。
通訳がいないと話にならないので、ミケンズはシブシブ投げた。
「疲れるのはぼくが一番よく知ってるんだ。
それを知ってもらうために・・・」というが、千葉監督は「ミケンズしかいないという現在の投手陣をもう少し理解してももらわなくては」とこれもしぶい顔。
それでも完投の味はまんざらでもなさそうで「シンカー、カーブそれにチェンジ・アップがよかった。
九回呉山に打たれたのはぼくの失投。
あとの安打は相手がうまかった。
八、九回は少し疲れたね。
それにしても九回一、二塁で関森が二死後中前の小飛球をよくとってくれた。
おかげで完投できた」関森をつかまえて抱きつかんばかりに握手攻め。
「ミック」の愛称でしたしまれている彼はもう十年選手。
ロサンゼルス州大を卒業して二年間陸軍にいて、そのあと3A級に八年間。
三十四年に近鉄入りしたが、三十三年にポートランドで七勝をあげたのがアメリカでの最高勝利数。
三十四年は近鉄で十一勝、今シーズンはこの夜ではやくも十一勝をあげた。
二十九歳。
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