元東映の三沢今朝治選手を知ってますか? 1967年 同点となったあとの九回一死三塁。三塁コーチ・ボックスから「代打・三沢」とつげた水原監督はそのままベンチまでトコトコ帰ってきた。三沢へアドバイスするためだった。「外野フライでいいんだぞ」何度もこう念を押されたそうだ。だが三沢はこのとき、十七日の対南海七回戦(大阪)で今シーズンの初ヒットを打ったときのことを思い出して、そうかたくなっていなかった。そのときも駒大の先輩萩原のつぎに代打で出たのだった。それに米田とは昨年一度顔をあわせ、中飛を打っている。こわいという印象はなかった。0-2から一球から振りした四球目。「内角高めのストレート。打ったとたんにはいると思った」(三沢)というサヨナラ・ホーマーが飛んでいった。打たれた米田が「こんなやられ方をしたのはあまり記憶にない」というほどの、みごとな一打。これはまだ三沢にとって、五年目でやっと出たプロ入り初アーチでもあった。「から振りしたのが低めのへんな球だったでしょう。だからつぎは高めにマトをしぼって持っていったんです」米田のフォークボールをへんな球とすましていう。後楽園より多摩川グラウンドにいる方がずっと多い選手なのだからムリもない。駒大時代は東部のスターだった。三年秋と四年春にはつづけて首位打者。四年秋も末次(中大ー巨人)とせり合って二点差で負けている。「もう入団五年目です。こんな場面がチョイチョイ出てこなくてはウソなんです」興奮はだんだんさめてくると、こんな反省もした。一昨年結婚し、昨年生まれた長女なおみちゃんはもう九ヶ月。東京・自由ヶ丘のアパートから通うときも、途中で合宿のマイクロ・バスに拾ってもらう質素な生活だ。「この調子でがんばってなんとかことしの暮れに給料をあげなくちゃ・・・」ネット裏でみていた大川オーナーは「いやあ、すばらしいホームランだった。りっぱりっぱ」とひとりで感激していた。