元広島の池田英俊投手を知ってますか? 1963年 白石監督は顔をクシャクシャにして池田の完投勝利を喜んだ。「大石が疲労

元広島の池田英俊投手を知ってますか? 1963年  白石監督は顔をクシャクシャにして池田の完投勝利を喜んだ。「大石が疲労

元広島の池田英俊投手を知ってますか? 1963年 白石監督は顔をクシャクシャにして池田の完投勝利を喜んだ。「大石が疲労から右ヒジを痛め(筋肉炎)池田もヒジがだるいといっているし・・・。この中日戦では投げるヤツがいなかった」こんな事情にもかかわらず「いつも勝率を五割にしておきたい」という悲願をもっている白石監督が池田をムリに使ったのだから喜びも当然だ。「五日も休めば右ヒジもなんとかいうことをきくでしょう」と終了後池田は笑っていた。これで早くも今シーズン3勝目。昨年ノンプロ八幡製鉄から広島に入団、速球よりも変化球を得意としているため、プロでは通用しないだろうとウワサされたが、16勝16敗で大石についで貴重な存在となった。「きょうはぼくの持ち味を生かせなかった。カーブの切れが悪く、シュートでどうにか九回までもったようなもの。まあ、いいできとは決していえませんな。ほんとうに持ち味がなかった」持ち味を強調するあたり池田は技巧派であることを誇りにしているようだ。答えも落ちついたサビのある声で、まるでベテランの感じ。「マーシャルの本塁打?フォークボールのすっぽ抜けです。まったくヒヤ汗の出るピッチングだった。バックの好守にすくわれたんですよ」ここで色の黒い顔をニコッとさせてテレた。ニックネームとはインドのカラスもちろん顔の黒さから付けられたが、どうしてインドでなければならないのだろうか。「なんとなく哲学者の感じがするでしょう。ふだんも静かな生活を送っており、聖人のようなタイプだからな」と竹内マネは説明した。「右ヒジは明大時代にも一度痛めており、まあ慢性といえるでしょう」(福永トレーナー)ということ。「それをカバーしてこれだけのピッチングができるのだからそのへんのカラスとは全然違うよ」同じく色の濃い白石監督の目には、能あるタカにうつるとみえ相好をくずして池田をほめる。バスに乗る池田は「昨年、中日に3連敗しているので・・・」初めて勝利の喜びをかみしめた。

以前学習させていただきましたね。 知ってます。 1962年、広島カープに入団。 「中継ぎタイプで4、5勝できれば」との周囲の評価をよそに、16勝を挙げる。 また、1年目の防御率2.44は、規定投球回数に達した広島の新人投手としては歴代2位の記録。 1位は明大の後輩である野村祐輔(1.98)。 緻密な制球力と投球術、縦に割れるカーブを武器に、1963年にはチーム最多の21勝を挙げエース格となる。 大石清と共に1960年代のカープ投手陣を支えたが、1965年の終盤には肘痛に苦しむ。 1966年には開幕から連続完封勝利を記録し、5年連続2桁勝利を達成。 安定した投球でローテーションの中心だったが、1967年のシーズン開幕直後、東洋工業のグラウンドで二軍の選手と共に調整中だったが、打撃投手が足りないと聞いて買って出る。 しばらくして、外野ノックを受けていた衣笠祥雄の送球がそれて右手首に当たる。 その影響で成績が極端に低下し、2年後の1969年に現役引退を余儀なくされる。 なお1968年からは投手コーチも兼任していた。 その後は同球団の投手コーチとして根本陸夫・別当薫・森永勝也と3人の監督に仕え、佐伯和司・金城基泰・永本裕章を育てた。 1980年~1984年は大洋でコーチを務め、先発の斉藤明夫と抑えの遠藤一彦の役割を交換して二人を蘇らせた。 1987年からは同年監督に就任した星野仙一の懇請で中日の投手コーチを務めた。 投手コーチとしての能力は高く評価されていた(複数球団の投手コーチを比較的長期間務めたことからも窺える)ようで、中日コーチ就任時には星野をして「投手出身の自分が、それでも安心して任せられる人」と言わしめている。 一方の池田は星野を「決断力があり、後輩ながら素晴らしい監督」と評している。 その後、実際に1988年の中日のリーグ優勝に貢献。 山本昌広・今中慎二・与田剛・近藤真一を育て、郭源治をリリーフに転向させた。 1975年~1979年と1985年~1986年には、RCC中国放送で野球解説者を務めていた。 中日コーチ退任後、球団のスカウトを経て、2005年まで広島工業大学の広報課に勤務していた(プロ野球のコーチから大学職員になったケースとして、新山隆史がいる)。 通算251試合登板 83勝82敗 防御率2.83

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元広島の池田英俊投手を知ってますか? 1963年 白石監督は顔をクシャクシャにして池田の完投勝利を喜んだ。「大石が疲労から右ヒジを痛め(筋肉炎)池田もヒジがだるいといっているし・・・。この中日戦では投げるヤツがいなかった」こんな事情にもかかわらず「いつも勝率を五割にしておきたい」という悲願をもっている白石監督が池田をムリに使ったのだから喜びも当然だ。「五日も休めば右ヒジもなんとかいうことをきくでしょう」と終了後池田は笑っていた。これで早くも今シーズン3勝目。昨年ノンプロ八幡製鉄から広島に入団、速球よりも変化球を得意としているため、プロでは通用しないだろうとウワサされたが、16勝16敗で大石についで貴重な存在となった。「きょうはぼくの持ち味を生かせなかった。カーブの切れが悪く、シュートでどうにか九回までもったようなもの。まあ、いいできとは決していえませんな。ほんとうに持ち味がなかった」持ち味を強調するあたり池田は技巧派であることを誇りにしているようだ。答えも落ちついたサビのある声で、まるでベテランの感じ。「マーシャルの本塁打?フォークボールのすっぽ抜けです。まったくヒヤ汗の出るピッチングだった。バックの好守にすくわれたんですよ」ここで色の黒い顔をニコッとさせてテレた。ニックネームとはインドのカラスもちろん顔の黒さから付けられたが、どうしてインドでなければならないのだろうか。「なんとなく哲学者の感じがするでしょう。ふだんも静かな生活を送っており、聖人のようなタイプだからな」と竹内マネは説明した。「右ヒジは明大時代にも一度痛めており、まあ慢性といえるでしょう」(福永トレーナー)ということ。「それをカバーしてこれだけのピッチングができるのだからそのへんのカラスとは全然違うよ」同じく色の濃い白石監督の目には、能あるタカにうつるとみえ相好をくずして池田をほめる。バスに乗る池田は「昨年、中日に3連敗しているので・・・」初めて勝利の喜びをかみしめた。

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