元西鉄の井上忠行選手を知ってますか? 1962年 「いつもおとなしくて話題のないのが井上(忠)」というのがナインの井上

元西鉄の井上忠行選手を知ってますか? 1962年  「いつもおとなしくて話題のないのが井上(忠)」というのがナインの井上

元西鉄の井上忠行選手を知ってますか? 1962年 「いつもおとなしくて話題のないのが井上(忠)」というのがナインの井上評だ。「先発メンバーに出たのはきょうの試合が三試合か四試合目くらいになるんじゃないですか」というほど目立たない。そんな井上がスタート・メンバーに出たのは城戸がカゼぎみだったからだ。中西監督も試合前「城戸が出られないのは痛いな」と困った表情をしていた。おとなしいおとなしいといわれながら、昨年の十二月結婚式をあげた。夫人はファッション・モデルだった。「まだ子供をつくる余裕なんかありません。もっともっと野球がうまくなってからこしらえます」てれたような笑いをうかべながら井上はボソボソしゃべった。「まっすぐでしたよ、三回の二塁打も七回のヒットも。ディサ?別にどうってこともなかった。でも二本ともあまりいい当たりではなかったですね。それに、七回のヒットは八田さんがジャンプしてちょうどおりたところへとんでいったような感じでした。いい当たりでなかった証拠です」プロ入り六年目、技術面でも考え方も入団当時から、まるでかわったところがないという。西代表がいっていた。「井上はひっぱることばかりを考えずに、外角球を右翼に流すように注意してもいっこうにやらない。相かわらずひっぱってばかりいる。私も一度いったことがあるんだがね」井上のいま考えてることは「からだが早く開きすぎる点。振り遅れは要するにポイントですね。これがうまくつかめるようになれば・・・」という。ひとつのことを一本気に思いつめるのが井上のいいところかもしれない。「趣味もなにもないのですよ。野球のないときは家でただゴロゴロしているだけです」朝から晩までバッティングを、からだが開くことだけを考えて暮している。打てなかった右翼に打った七回、試合をきめた右前安打もそんな性格が出たものだ。

知らなかったので調べました。 八女工業高校卒業後、門司鉄道管理局に進み、1956年の都市対抗に出場。 1957年に西鉄ライオンズに内野手として入団。 1959年には一軍に定着、主に一塁手として起用される。 1962年には、選手兼監督に就任した中西太の故障が悪化したこともあり、一塁手、三塁手として56試合に先発出場を果たす。 しかし翌年にはジョージ・ウィルソン、ジム・バーマらが入団して出場機会が減り、1964年限りで現役引退。 現役時代の通算記録は、実働8年で584試合に出場し、945打数170安打の.180、18本塁打、71打点、3盗塁。 1963年には日本シリーズにも出場している。 その後セ・リーグ審判部に入局、関西審判部の中堅として長年活躍した。 審判員としての出場記録は通算3263試合、日本シリーズ6回(1984年・1985年・1987年・1991年・1994年・1996年)、オールスター6回。 日本シリーズでは、1985年・1991年に第4戦、1984年に第7戦の球審をそれぞれ担当している。 引退前年の1996年には、61歳という高齢ながらオールスター・日本シリーズに出場している。 有名な試合としては、1987年中日の近藤真市によるルーキー初登板・初先発ノーヒットノーラン達成試合で球審をしていた。 井上はこの試合を振り返り、「5回辺りから記録達成の予感がした」と述懐している。 また1993年6月9日の巨人対ヤクルト戦で、ヤクルトのルーキー伊藤智仁が16奪三振を奪いながら篠塚和典にサヨナラホームランを打たれた試合で球審。 1994年10月8日の中日対巨人の同率首位決戦(10.8決戦)で一塁塁審、引退した1997年9月2日の横浜ベイスターズ対ヤクルトスワローズでヤクルト石井一久がノーヒットノーランを達成した試合で球審を務めている。 1997年に引退後、2001年まで審判指導員をつとめた。 プロ野球マスターズリーグで審判をつとめ、他にも大東市などの少年野球の指導などで活躍していた。 (中村剛也も所属していた大東市の少年野球リーグでは審判部長) 大柄な身体で、大食漢、ストライクゾーンが広い審判であった 。1986年秋よりインサイドプロテクターを使用した(1987年開幕から使用。) 2007年12月15日、沖縄でのマスターズリーグの試合後、急性心筋梗塞を発症し急逝。 72歳没。 通算584試合出場 945打数 170安打 18本塁打 71打点 .180 背番号 29 (1957年 - 1959年) 2 (1960年 - 1964年) 写真右

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元西鉄の井上忠行選手を知ってますか? 1962年 「いつもおとなしくて話題のないのが井上(忠)」というのがナインの井上評だ。「先発メンバーに出たのはきょうの試合が三試合か四試合目くらいになるんじゃないですか」というほど目立たない。そんな井上がスタート・メンバーに出たのは城戸がカゼぎみだったからだ。中西監督も試合前「城戸が出られないのは痛いな」と困った表情をしていた。おとなしいおとなしいといわれながら、昨年の十二月結婚式をあげた。夫人はファッション・モデルだった。「まだ子供をつくる余裕なんかありません。もっともっと野球がうまくなってからこしらえます」てれたような笑いをうかべながら井上はボソボソしゃべった。「まっすぐでしたよ、三回の二塁打も七回のヒットも。ディサ?別にどうってこともなかった。でも二本ともあまりいい当たりではなかったですね。それに、七回のヒットは八田さんがジャンプしてちょうどおりたところへとんでいったような感じでした。いい当たりでなかった証拠です」プロ入り六年目、技術面でも考え方も入団当時から、まるでかわったところがないという。西代表がいっていた。「井上はひっぱることばかりを考えずに、外角球を右翼に流すように注意してもいっこうにやらない。相かわらずひっぱってばかりいる。私も一度いったことがあるんだがね」井上のいま考えてることは「からだが早く開きすぎる点。振り遅れは要するにポイントですね。これがうまくつかめるようになれば・・・」という。ひとつのことを一本気に思いつめるのが井上のいいところかもしれない。「趣味もなにもないのですよ。野球のないときは家でただゴロゴロしているだけです」朝から晩までバッティングを、からだが開くことだけを考えて暮している。打てなかった右翼に打った七回、試合をきめた右前安打もそんな性格が出たものだ。

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