日本プロレス・ワールドリーグ戦の第1回~14回の順位に関する質問で、以前に回答した内容も踏まえて、改めて今回の質問に回答させていただきます。
1961年6月29日 大阪府立体育会館優勝決定戦にコマを進めたのはミスターXです。
そして、その前の6月9日の高松市体育館大会のセミファイナルで、豊登vsカール・クラウザー戦が「決勝トーナメント2位決定戦」として組まれています。
この2位決定戦は、豊登の不戦敗で、クラウザーの勝利として記録されました。
この日のメインイベントはミスターXvsグレート・アントニオのワールドリーグ公式戦。
ミスターXが場外カウントアウトでアントニオを破っています。
初期の頃のワールドリーグ戦は、(信じられないかもしれませんが)試合数もルールもいい加減なもので、エントリーしている選手ごとに公式戦の数が違ってたりします。
ぶっちゃけて言えば、順位や勝ち点というものはアテにならず、日本プロレス側が発表した事を公式の記録として、私たちは受け止めなければならないのです。
公式戦の勝利数はクラウザーのほうがミスターXよりも多かったといいますし、にも関わらず優勝決定戦に進んだのはミスターXでした。
豊登とクラウザーの公式戦がアントニオを差し置いて「2位決定戦」とされている以上、リーグ戦でミスターXに次いでの成績を挙げたのはクラウザーとするしかないのです。
メインイベントでミスターXが公式戦を戦うのに、早くも2位決定戦を行おうというのもおかしな話です。
普通、順位の決定戦は公式戦を全て終えてから行うものなんですが(汗) 初期のワールドリーグ戦のいい加減さがこれでわかって頂けたかと思います。