匿名さん
自動車の「単一のモデル」の概念について(長文) 私は広汎性発達障害(ASD)と診断されている者です。
これから質問することは普通の定型発達の方の感覚からすると理解しにくいことかもしれ ません。
自動車の開発において、シャーシやコンポーネントを流用することがありますよね。
古い例だと ・フォルクスワーゲンタイプ1→タイプ2、カルマンギアetc ・フォードファルコン→マスタング ・ダットサン乗用車(ブルーバード)→スポーツカー(フェアレディ) 等があり、現代だと専用のプラットフォームを使っていることのほうが稀ですよね? 上記のような、他の車のシャーシをベースに生まれた車は、ベースになった車のバリエーションの一つ?それとも別個のモデルとして考えるべき?という思考が頭の中をうずまき、苦しい思いをしています。
「単一のモデル」の概念が変わると自分自身が車を選ぶ上での判断基準が変わってくるからです。
以前(3年くらい前まで)は、シャーシを流用して生まれた派生車であっても、あくまでも別のモデルとして開発された車は、ベース車とは別個のモデルであるという概念を持っていたのですが、どういうわけか、それまでの「当たり前」に疑問を感じるようになってしまったのです。
最近ではシャーシを共有していても別個のモデルとして扱われるけれど、実は昔はまとめて一つのモデルとする考え方があったのではないか?という気もしています。
他車のシャーシを流用した車が単一のモデルとして扱われていないのではないか?という根拠として、 ・カーグラフィック誌1970年11月号65ページの中でホンダZがNⅢ360の一バリエーションとして扱われている ・カーグラフィック誌1971年12月号の中での初代スバルレオーネの紹介記事はff-1の派生車であると書かれているとも解釈できる ・別冊モーターファン国産車100年の軌跡(1978年)の中で、マツダキャロルがR360の、初代スバルレオーネがff-1の、初代スバルレックスがR-2のそれぞれバリエーションモデルとして扱われている。
・クラシック&スポーツカー日本語版第4号の中で、シトロエンアミ6が2CVの一部であると解釈できる文章がある。
(80ページ) ・モーターマガジン臨時増刊世界の自動車特集62年4月号の中で、シトロエンアミについて「ニューモデルというより2CVの発展改良型の印象がつよい」との記述がある。
(142ページ) ・モーターファン64世界オートレビュウの中で、シトロエンアミについて「2CVの近代版」との記述がある(98ページ) ・自動車のアルバム1964年版(誠文堂新光社)でシトロエンアミについて2CVの高級型との旨の記述がある(70ページ) ・古いモーターファン誌?の中でトヨタスポーツ800について、メーカー側にパブリカの仲間ですか?と尋ねたインタビューがある(これはスポーツ800が元々パブリカスポーツというショーモデルだったからか?) 改めて言うと、私が知りたいのは他車のシャーシを流用して生まれた車が、派生元とは別個のモデルであるという概念が確実に昔からあったのかということです。
昔から車が大好きで生き甲斐だったのに、こんなことで苦しみ、調べごとにかなりの時間やお金をかけるようになってしまいました。
またいつか、心の底から安心して車を楽しめる日々が来ることを望んでいます。
この意味不明な文章を最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。