匿名さん
日産自動車の経営についての質問です。
日産は90年代後半から経営が苦しくなり、ルノーの傘下にならざるを得なくなった歴史があります。
かつてはトヨタと同じフルラインナップの車種を揃え 、例えは悪いですが「西の横綱」でした。
80年代に“絶壁のダッシュボード”など内装が相変わらずだったりしてやや怪しい時期もありましたが80年代後半からサニー系はトラッド・パルサー系はカーオブザイヤー受賞・ブルーバードはアテーサー・Z32にR32スカイライン・S13シルビア系・Y31セドグロ&シーマなどなどどれも個性的で市場の受けもよく「或いは近い将来トヨタもうかうかしてられなくなるかも…」とすら日産党ではない僕ですら注目してしまうほどでした。
その後90年代に入り、看板車種がほぼ同時期にモデルチェンジしたものの…一部を除き多くの車種が市場受けされなくなり、販売台数を落としてしまい、これがキッカケ(原因でなく、あくまでキッカケ)で90年代後半の経営不振を招いてしまったという意見があります。
そこで質問が幾つかあります。
①この90年代初頭のモデルチェンジの失敗の真相は如何なるメカニズムだったのでしょう? 僕自身の印象では、北米市場を意識し過ぎて国内の市場ニーズに多少強気(国内でも流行るはずだろう的な)なコンセプト設定を幾つかのモデルでしてしまったことと、衝突安全基準を満たすこととその延長線上の3ナンバー化に対してヒットした先代からのキープコンセプトとのバランスを十分吟味できないまま市場に送り出してしまったことかな?と思います。
②その後ルノー傘下になるまでの約5年間くらいに経営危機にまでなってしまったプロセスについて。
③対するトヨタはこの時期何をどう乗り切り「独り横綱」になれたのか? かつてのマツダの経営危機の原因(5チャネル展開の裏目&その時期でのバブル崩壊)がはっきりわかりやすいものでなく自分には感じるので、 ご回答よろしくお願いします。