1984年11月1日の後楽園ホール大会をもって2年3ヶ月にわたる全日本プロレスから 海外武者修行という名目でメキシコに冬

1984年11月1日の後楽園ホール大会をもって2年3ヶ月にわたる全日本プロレスから 海外武者修行という名目でメキシコに冬

1984年11月1日の後楽園ホール大会をもって2年3ヶ月にわたる全日本プロレスから 海外武者修行という名目でメキシコに冬木と共に送り出されたウルトラセブン。実状はお役ごめんの島流しだったと 思います。 同年、7月に2代目三沢タイガーマスクが全日本デビュー。低迷していたセブンの役割は終わっていました。 佐山サトルはタイガーマスク引退から1年間の空白を経てザ.タイガーからスーパータイガーとして復活していました。 ウルトラセブンは全日本を去って翌年にはちゃっかり素顔で全日本に復帰しました。 インパクトは残せませんでした。後にジャパンプロレス、カルガリーハリケーンズの移籍もあって人員余剰となった煽りで剛、 菅原と共にリストラされました。86年。 88年のパイオニア戦士旗揚げと続きます。 質問は84年全日本から去ったウルトラセブンがメキシコでルチャ戦士としてチャレンジしていたらどうだったかという物です。 81年、国際プロレス崩壊後にグアテマハラやメキシコで試合をしていたと聞きました 。ウルトラセブンになる前で素顔の高杉正彦としてです。 もし84年にメキシコでウルトラセブンとして試合をしていたとしたらセブンルチャデビューという事になりました。 果たして通用したか… 全日本プロレスではマスカラスとタッグを組んだりしました。シングルではドスカラス、リスマルク、フィシュマン、ベビーフェースとやるも全て負け、噛ませでありました。しかしながら敗れたとはいえJr.最強と言われたチャボゲレロとは敗れたとはいえJr.王座決定戦で健闘しました。弟のヘクターゲレロにはフォール勝ち、巧者マイクデービスなはリングアウト勝ち、大仁田厚ともそれなりきの試合で全日本Jr.戦線を盛り上げ!?ていました。 願いも込めて84年から85年のメキシコマットでウルトラセブンがどこまでやれたか、 成功できたか…プロレスファンの皆さんの回答よろしくお願いします( ^∀^) 全日本との提携からUWAではなくてEMLL 参戦になったと思うけど… エルサタニコとかもいたしかなり厳しかったと思うけど((T_T))

先輩のマッハ隼人はルチャを完全にマスターしていましたが、メキシコでこれといった実績がないようです。 それに対し、セブンはダイビング・アタック、プランチャ・・・程度しか出来ませんでした(反面、ジャーマン・スープレックスなども出来ましたが)。 体重を考えるとライトヘビー級以上になると思いますが、かなりの実力がないと、メキシコマットでの成功は難しいでしょう。 ウエイトをダウンさせて、空中技をもっと訓練して、宇宙トリオ「ロス・カデテス・デル・エスパシオ(エル・ソラール、スペル・アストロ、ウルトラマン)」に、加入させてもらえれば、キャラ的には通用したかもしれません。

パイオニアに関する回答

【動画】車・バイクニュース

【動画だから100倍楽しめる】YouTube車・バイク動画(すべて見る)

見て楽しむニュース

【動画だから100倍楽しめる】見て楽しむ車・バイクニュース(すべて見る)

【速報】車・バイクニュース

完全無料で話題の車・バイクニュースがすぐに読める(すべて見る)

【話題】今話題の動画

SNSで1000いいね!以上の話題の動画(すべて見る)

この質問に答えてみる

1984年11月1日の後楽園ホール大会をもって2年3ヶ月にわたる全日本プロレスから 海外武者修行という名目でメキシコに冬

1984年11月1日の後楽園ホール大会をもって2年3ヶ月にわたる全日本プロレスから 海外武者修行という名目でメキシコに冬木と共に送り出されたウルトラセブン。実状はお役ごめんの島流しだったと 思います。 同年、7月に2代目三沢タイガーマスクが全日本デビュー。低迷していたセブンの役割は終わっていました。 佐山サトルはタイガーマスク引退から1年間の空白を経てザ.タイガーからスーパータイガーとして復活していました。 ウルトラセブンは全日本を去って翌年にはちゃっかり素顔で全日本に復帰しました。 インパクトは残せませんでした。後にジャパンプロレス、カルガリーハリケーンズの移籍もあって人員余剰となった煽りで剛、 菅原と共にリストラされました。86年。 88年のパイオニア戦士旗揚げと続きます。 質問は84年全日本から去ったウルトラセブンがメキシコでルチャ戦士としてチャレンジしていたらどうだったかという物です。 81年、国際プロレス崩壊後にグアテマハラやメキシコで試合をしていたと聞きました 。ウルトラセブンになる前で素顔の高杉正彦としてです。 もし84年にメキシコでウルトラセブンとして試合をしていたとしたらセブンルチャデビューという事になりました。 果たして通用したか… 全日本プロレスではマスカラスとタッグを組んだりしました。シングルではドスカラス、リスマルク、フィシュマン、ベビーフェースとやるも全て負け、噛ませでありました。しかしながら敗れたとはいえJr.最強と言われたチャボゲレロとは敗れたとはいえJr.王座決定戦で健闘しました。弟のヘクターゲレロにはフォール勝ち、巧者マイクデービスなはリングアウト勝ち、大仁田厚ともそれなりきの試合で全日本Jr.戦線を盛り上げ!?ていました。 願いも込めて84年から85年のメキシコマットでウルトラセブンがどこまでやれたか、 成功できたか…プロレスファンの皆さんの回答よろしくお願いします( ^∀^) 全日本との提携からUWAではなくてEMLL 参戦になったと思うけど… エルサタニコとかもいたしかなり厳しかったと思うけど((T_T))

※未入力の場合「乗り物好き」として匿名で回答できます。

※未入力可能

全角10文字以上4000文字以内