1982年~1986年のWGP500ccワークスマシンの出力について(KR500は除く) 各年式最終型で観ていくと、

1982年~1986年のWGP500ccワークスマシンの出力について(KR500は除く)	 各年式最終型で観ていくと、

匿名さん

1982年~1986年のWGP500ccワークスマシンの出力について(KR500は除く) 各年式最終型で観ていくと、 ①1982年 YZR 130ps,NS 120ps,RG-γ 125ps ②1983年 YZR 140ps,NS 130ps,RG-γ 130ps ③1984年 YZR 145ps,NSR 140ps,NS 130ps,RG-γ 135ps ④1985年 YZR 145ps,NSR 145ps,NS 130ps,RG-γ 135ps ⑤1986年 YZR 150ps,NSR 150ps,NS 135ps,RG-γ 140ps くらいだった様に記憶しております。
勿論、メーカーが公式に最高出力を明確にはしていない(~ps以上の様な表現)ので把握するのは難しいと思うのですが、大体この値で合っていますでしょうか? また、1983年まではNSと善戦していたRG-γが(開発そのものは停止していたもののパーツ改良はやっていた様なのですが)1984年以降、殆ど勝負になっていません。
出力自体は排気デバイスの設置等によりパワーアップしていたはずなのですが、NSと比較して、エアドラッグの差、マスの集中化による旋回性の差、3発のメリットによるコーナー脱出速度の差、辺りが勝てなかった原因なのでしょうか。
勿論、両陣営の契約ライダーのポテンシャルにも左右されると思うのですが。
忌憚なきご意見をお願いします。

マシンというより、ずば抜けたライダーが当時ヤマハとホンダに出現した事が、スズキが勝てなくなった一番の原因ではないでしょうか? 即ち、K・ロバーツとF・スペンサーの存在です。
特にロバーツのライディングスタイルは、それまでの手法とは違う画期的なもので、ロバーツ引退後もそれはE・ローソン W・レイニーに引き継がれています。
対して、スズキはこの二人に立ち向かうだけでも大変なのにF・ウンチーニ が負傷したり、スーパースターのB・シーンが移籍とやはり負傷をしたりでマシン開発の方向性を定められなかったのではないでしょうか。
これも原因の一つだと考えます。
なによりメーカーとチームを牽引するスーパーな才能がスズキには存在しなかったのが第一原因だと思います。
スズキはK・シュワンツというカリスマが出現するまで、我慢しなければならなくなりました。
当時の特にスズキのチーム体制の事情というのは、あまり良く覚えていないのですが、最高出力というのはマシン性能のほんの一部に過ぎません。
操作性や過渡特性がマシン性能の非常に重要なファクターであるのは間違いないでしょう。
スズキはコーナーリング性能を向上させる為にフロント16インチを採用したり、アンチノーズダイブシステムを採用したりしました。
しかし、画期的と云われたその機構は、いずれもライダーから不自然であるとされ長続きはしませんでした。
この様な技術的な部分での試行錯誤がマイナスに働いてしまった部分があったのではないでしょうか?

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1982年~1986年のWGP500ccワークスマシンの出力について(KR500は除く)	 各年式最終型で観ていくと、

匿名さん

1982年~1986年のWGP500ccワークスマシンの出力について(KR500は除く) 各年式最終型で観ていくと、 ①1982年 YZR 130ps,NS 120ps,RG-γ 125ps ②1983年 YZR 140ps,NS 130ps,RG-γ 130ps ③1984年 YZR 145ps,NSR 140ps,NS 130ps,RG-γ 135ps ④1985年 YZR 145ps,NSR 145ps,NS 130ps,RG-γ 135ps ⑤1986年 YZR 150ps,NSR 150ps,NS 135ps,RG-γ 140ps くらいだった様に記憶しております。
勿論、メーカーが公式に最高出力を明確にはしていない(~ps以上の様な表現)ので把握するのは難しいと思うのですが、大体この値で合っていますでしょうか? また、1983年まではNSと善戦していたRG-γが(開発そのものは停止していたもののパーツ改良はやっていた様なのですが)1984年以降、殆ど勝負になっていません。
出力自体は排気デバイスの設置等によりパワーアップしていたはずなのですが、NSと比較して、エアドラッグの差、マスの集中化による旋回性の差、3発のメリットによるコーナー脱出速度の差、辺りが勝てなかった原因なのでしょうか。
勿論、両陣営の契約ライダーのポテンシャルにも左右されると思うのですが。
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1982年~1986年のWGP500ccワークスマシンの出力について(KR500は除く) 各年式最終型で観ていくと、 ①1982年 YZR 130ps,NS 120ps,RG-γ 125ps ②1983年 YZR 140ps,NS 130ps,RG-γ 130ps ③1984年 YZR 145ps,NSR 140ps,NS 130ps,RG-γ 135ps ④1985年 YZR 145ps,NSR 145ps,NS 130ps,RG-γ 135ps ⑤1986年 YZR 150ps,NSR 150ps,NS 135ps,RG-γ 140ps くらいだった様に記憶しております。
勿論、メーカーが公式に最高出力を明確にはしていない(~ps以上の様な表現)ので把握するのは難しいと思うのですが、大体この値で合っていますでしょうか? また、1983年まではNSと善戦していたRG-γが(開発そのものは停止していたもののパーツ改良はやっていた様なのですが)1984年以降、殆ど勝負になっていません。
出力自体は排気デバイスの設置等によりパワーアップしていたはずなのですが、NSと比較して、エアドラッグの差、マスの集中化による旋回性の差、3発のメリットによるコーナー脱出速度の差、辺りが勝てなかった原因なのでしょうか。
勿論、両陣営の契約ライダーのポテンシャルにも左右されると思うのですが。
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マシンというより、ずば抜けたライダーが当時ヤマハとホンダに出現した事が、スズキが勝てなくなった一番の原因ではないでしょうか? 即ち、K・ロバーツとF・スペンサーの存在です。
特にロバーツのライディングスタイルは、それまでの手法とは違う画期的なもので、ロバーツ引退後もそれはE・ローソン W・レイニーに引き継がれています。
対して、スズキはこの二人に立ち向かうだけでも大変なのにF・ウンチーニ が負傷したり、スーパースターのB・シーンが移籍とやはり負傷をしたりでマシン開発の方向性を定められなかったのではないでしょうか。
これも原因の一つだと考えます。
なによりメーカーとチームを牽引するスーパーな才能がスズキには存在しなかったのが第一原因だと思います。
スズキはK・シュワンツというカリスマが出現するまで、我慢しなければならなくなりました。
当時の特にスズキのチーム体制の事情というのは、あまり良く覚えていないのですが、最高出力というのはマシン性能のほんの一部に過ぎません。
操作性や過渡特性がマシン性能の非常に重要なファクターであるのは間違いないでしょう。
スズキはコーナーリング性能を向上させる為にフロント16インチを採用したり、アンチノーズダイブシステムを採用したりしました。
しかし、画期的と云われたその機構は、いずれもライダーから不自然であるとされ長続きはしませんでした。
この様な技術的な部分での試行錯誤がマイナスに働いてしまった部分があったのではないでしょうか?

YZR500に関する回答

YZR500に関する質問

WGP(現motoGP)での一場面で・・・ 写真は1989年のWGPの一場面ですが、一番手前が平選手でその奥がニール・マッケンジー選手だと思います。
マシンのカラーリングや所属チームは違えど、マシン自体はヤマハのワークスマシンYZR500ですよね? この写真を見ていて、ニール・マッケンジー選手のマシンはマフラーのサイレンサーにステッカーが貼ってありますが、平選手のマシンにはありません。
これはスポンサーのステッカーなのか、マフラーのメーカーのステッカーなのか?? 仮にマフラーのメーカーのステッカーなら、マシンの仕様が異なるということになりますが・・・? 御存知の方、教えて下さい。

YZR500 に関する質問

当時、マフラーメーカーのステッカー用スペースとは限定されていなかったようで わかる範囲で少しばかり調べて見ましたので、ご参考に掲載しときます。
'89 YZR500(W. Rainey) 1989年 - WGP500cc ランキング2位(ラッキーストライク・ヤマハ/YZR500) 上段マフラーには → OHLINSのステッカー(スウェーデン発祥のダンパーメーカー) 下段マフラーには → REGINAのステッカー(イタリア発祥のチェーンメーカー) ‐‐‐ '89 YZR500(C. Sarron) 1989年 - WGP500cc ランキング3位(ゴロワーズ・ソノート・ヤマハ/YZR500) 上段マフラーには → bremboのステッカー(イタリア発祥のディスクブレーキメーカー) 下段マフラーには → FACOMのステッカー(フランス発祥の工具メーカー) いずれもマフラー形状は同一タイプと見受けられました。
当時は今日のようにマフラーメーカーのステッカー位置と限定せず、あくまでもスポンサー用の広告スペースと捉えた方がベターなのかと。
'89↓W. Rainey ラッキーストライク・ヤマハ/YZR500

YZR500に関する回答

YZR500に関する質問

GP500 レイニーガードナーローソンシュワンツ何かは良く見ますが、ぶっちゃけクリスチャンサロンを(名前違ってたらすいません)忘れてませんか? マシンYZRゴロワーズでしたっけ? 質問になってないので、質問ですが、それなりに速くて、忘れてられてる人挙げて下さい。
雨のあの人とか、後ろから突っ込まれたレイニーのチームメイトだったあの人とか。

YZR500 に関する質問

クリスチャンサロンは、当時の主流だったハングオン(英語ではハングオフ)では無く、車両と体が同じように傾く、リーンウィズのコーナリングフォームで、他の車両より深いバンク角で曲がっていく(様に見える)ので、ファンが多かったですね。
もっとも、250cc時代は、それで良かったけど、500ではなかなかそのスタイルは通じず、殆ど勝てなかったように記憶しています。
(耐久系のレースでは結構活躍したような覚えがありますが・・・) 最後の頃は、他の人のように、ハングオンスタイルになっていたかと。
ま、それ以上に、一時的にブームになったのは、コーナーの外側の足を、ステップから完全に浮かせるほどのハングオンスタイルで走っていた、ランディマモラでしょう。
「マモラ乗り」は、瞬間的かもしれないけど、一時代を築いたと言えるでしょう(笑)

YZR500に関する回答

YZR500に関する質問

1970年代のRG500とYZRてどうしてスクエア4だったり並列4気筒だったりしたのですか。
当時からV型4気筒というレイアウトはあったのでしょう。
どうしてスクエア4とか並列4気筒という変てこなレイアウトを採用したのですか。
結局はホンダもヤマハもスズキも最終的にはV型4気筒になるのでしょう。
どうして最初からV型4気筒で行かなかったのですか。

YZR500 に関する質問

並列4気筒やスクエア4は、充分な実績とノウハウのあるパラツインを2基連結するという手法で簡単に作れたからです。
当時はタイヤやサスペンション性能が低く、レーサーといっても直線番長的な性格が強かったため、バンク角を稼ぐためにエンジンをスリムにするという発想がありませんでした。
スクエア4にしても、前面投影面積を減らすことで最高速を伸ばすのが目的であり、パラ4でもパワーがあれば充分に対抗できたため、わざわざV4を採用するメリットはなかったのです。

YZR500に関する回答

YZR500に関する質問

なぜ2ストの電子制御化は難しいのですか。
2ストのGP500から4ストのmotoGPになって一気に電子制御化が進んだと聞きます。
2ストは電子制御化には不向きだったと聞きます。
なのでワークスのNSRもYZRもγもローテックだったと聞きます。
motoGPからの技術のフィードバックで市販のバイクもインジェクションの高度化。
トラクションコントロールなどのハイテック化が進みましたが。
なぜ2ストだと電子制御に不向きだったのですか。
2ストも4ストも一緒だと思うのですが。
なぜ2ストのインジェクションやトラクションコントールが難しかったのですか。

YZR500 に関する質問

電子制御化? FI化の事ですか? 2ストはエンジン構造的にFIにしてもほぼ意味ない。
からです。
4ストの場合、直接シリンダ内に吸気されますが、2ストエンジンの場合はクランクケースで1次圧縮が行われますし、強制的に必要量の空気が入ってゆきます。
いくらインジェクションが有ったとしてもインジェクションである意味が薄れます。
2ストのFI化は、開発費用がかかるだけで、性能向上するわけでもない。
ってことで各メーカー意味なし。
と判断しただけかと思います。
ごく一部の一般市販車でFIを採用した2ストエンジンはありますが、パワー重視のものではなくて、排気ガス規制をクリアさせるためのもので、性能向上のためではありません。
また、個人の改造もので、NSR250RをFI化したという人もいますが、その人もあくまでも自己満足的なものであり、このことでパワー増大するわけではない。
謳ってましたよ。
>NSRもYZRもγもローテック って、その当時は最先端技術の塊でしたよ。
キャブ方式ではありましたが、キャブそのものは電子制御でしたよ。
今のMotoGPとWGP時代の技術を比べる方がキチ○イじみてる行為です。
今の技術レベルから比べれば、「ローテク」なのは当たり前です。
バイクに限らず、この世のすべての技術を「今の技術」と「昔の技術」を比べて「昔はローテクだったね」というのは何の意味もありません。
年寄りが「昔は若かった」と言っているようなもの。
今のFIの技術はある程度開発されているため、2ストのFI化もコスト的にもWGP当時にくらべて安く作れるかと思います。
むしろ、キャブの技術が枯れている今。
FIをベースにした方が良い物が創れるのかもしれません。

YZR500に関する回答

YZR500に関する質問

貴方が最も美しい、カッコイイと思う YAMAHA のレースマシン(二輪)はなんですか? ホンダに続きヤマハ編をさせていただきます。
端正で美しい車両が多いヤマハのマシン。
クラスやカテゴリー 速い 遅い 成功 不成功 を問わず感想、できれば画像も貼って頂くとなお嬉しいです。
私は1984年のOW76 YZR500 を挙げます。
中でも全日本で平忠彦氏がチャンプを獲ったヤマハ社内カラー! 車体は全体的に近寄りがたいスパルタンさでありながら、身に纏うカウルとカラーリングは流麗かつセクシー。
本当はWGPでチャンプのエディーのOW76がど真ん中なのかもしれませんが、派手なマールボロより落ち着いたヤマハストロボカラーの方が好きです。
独善かつ主観的な質問ですが、どうぞ宜しくお願いします!

YZR500 に関する質問

私も質問者様と全く同感ですね!YZR500(OW76)の平車です! 85年以降の赤、白のみのストロボカラーも好きでしたが、やはり赤、白、紺のストロボカラーが美しかったです!そして流れるような美しいボディラインをヤマハ独自のナックルガードがOW76のフォルムを引き締めました!平、ローソンといったスマートなライディングをする当時のヤマハのライダーにはピッタリのマシンでした!84年の全日本のレースシーンではHRCの木下、ウォルターウルフの水谷、そしてヤマハワークスの平が盛り上げてくれましたが、やはりその個性的なマシン、ライダーの中でも平の速さ、強さ、そして何より赤のゼッケンプレートに白の『1』が引き立つストロボカラーのOW76が輝いて見えました!当時小学生だった私が鈴鹿サーキットで生観戦した時、グリッド最前列に並んだ平とOW76が押し掛けスタートしてエンジンに火が入った瞬間、フロントを持ち上げながらモンスターと化していく姿を見て鳥肌が立ちっ放しだった事を昨日のように鮮明に思い出します!モータースポーツにとってもバブル期の時代、OW76のような素晴らしいマシン達のバトルをリアルタイムで観る事ができた私は幸せだったと思います!

YZR500に関する回答

YZR500に関する質問

FZR250Rに貼るステッカーについて YZR500のTECH21を参考にステッカーを集めてみましたが、使ってるオイルがヤマルーブなんですが、ステッカーをカストロールにするかヤマルーブにするか迷っています。
どっちがいいと思いますか?

YZR500 に関する質問

「YZR500 TECH21」でぐぐって画像を見ましたが カストロールが貼ってあるのでカストロールがいいと思います。

YZR500に関する回答