元西鉄の河合保彦選手を知ってますか? 1961年 川崎監督が西鉄の打線を据るとき、必ずといっていいほどほめるところが一か所ある

元西鉄の河合保彦選手を知ってますか? 1961年  川崎監督が西鉄の打線を据るとき、必ずといっていいほどほめるところが一か所ある

匿名さん

元西鉄の河合保彦選手を知ってますか? 1961年 川崎監督が西鉄の打線を据るとき、必ずといっていいほどほめるところが一か所ある。
それは河合、和田の打てる捕手を八番にすえていることだ。
「ぜいたくなんだよ、彼らを八番におくのは・・・。
西鉄以外なら五、六番は打っていいバッターだ」この日は河合がエラーでひろった得点以外は全部たたき出した。
昨シーズンはプロ入り最高の7ホーマーを記録したが、今シーズンは今夜の3ランですでにそのタイ記録。
自分の本塁打記録は野球生活十年目で完全にぬりかえられる。
「ホームラン?シンカーじゃなったかな。
ランナーがいたし、梶本は内角へシンカーを投げて併殺をねらうつもりだったのだろう。
それが高かったので沈まなかったようだ。
ボールの回転はたしかにシンカーと思ったが・・・」さすが捕手だけに投手の心理を読むのはお手のもの。
ヤマを張っていたようだ。
「今シーズン好調の原因は」「走者のいるときが多く、どうしてもという気持ちからボールにくいついていける。
それ以外になにもないだろう。
腰の痛みは守備についているときだけこたえるね。
打つ方は別に関係はない」今夜の4打点で今シーズン22打点。
これは西鉄では豊田(32)田中久(29)についで三番目。
スラッガー?河合は思わぬところですごみを発揮している。

知らなかったので調べました。
岐阜高校では外野手、後に捕手として活躍し、1年夏には夏の甲子園で準優勝した。
1952年に岐阜高を卒業後、中日ドラゴンズ(当時の球団名は名古屋ドラゴンズ)に外野手として入団。
入団後ほどなく再び捕手にコンバートされ、1年目から公式戦に出場。
チーム名が「名古屋」から再び「中日」に戻った1954年には正捕手・野口明の控えでありながらも68試合に出場し、杉下茂とバッテリーを組みドラゴンズ初の優勝・日本一に貢献する。
その後、野口の監督就任に伴い、正捕手として中日の本塁を守り続けた。
1959年、金銭トレードで西鉄ライオンズに移籍する。
だが、西鉄には和田博実がおり、この頃正捕手としての絶頂期だったために二番手の控え捕手として過ごす。
しかし、1963年の西鉄最後の優勝の原動力となり、日本シリーズにも出場した。
1967年、後に捕手の二枚看板となる宮寺勝利と村上公康が台頭してくるにつれ自然と出場試合が激減し、現役を引退。
東海テレビ・東海ラジオ・九州朝日放送の野球解説者を務めるかたわら福岡市で旅館を経営した。
1984年9月11日死去。
享年50。
河合が死去した同時期、郷里及びドラゴンズの後輩でもある一字違いの河村保彦(但し、河村の中日入団年に河合が西鉄に移籍したため一緒にはプレーしていない)がフジテレビ「FNNニュースレポート6:00」(キャスター:逸見政孝。
逸見・河村共々後継番組の「FNNスーパータイム」にも続投)のスポーツコーナーのキャスターを務めていたが、早合点した一部の視聴者が河村が急逝したと勘違いして河村に献花を送ったことがある(同様のエピソードについては桜京美の項目も参照)。
通算1071試合出場 2396打数 507安打 241打点 28盗塁 打率.212 オールスターゲーム出場:3回 (1955年、1956年、1959年) 通算1000試合出場 1966年7月23日(111人目) ※古葉竹識と同日達成 背番号 34 (1952年) 22 (1953年 - 1956年) 6 (1957年 - 1958年) 26 (1959年 - 1967年)

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匿名さん

元西鉄の河合保彦選手を知ってますか? 1961年 川崎監督が西鉄の打線を据るとき、必ずといっていいほどほめるところが一か所ある。
それは河合、和田の打てる捕手を八番にすえていることだ。
「ぜいたくなんだよ、彼らを八番におくのは・・・。
西鉄以外なら五、六番は打っていいバッターだ」この日は河合がエラーでひろった得点以外は全部たたき出した。
昨シーズンはプロ入り最高の7ホーマーを記録したが、今シーズンは今夜の3ランですでにそのタイ記録。
自分の本塁打記録は野球生活十年目で完全にぬりかえられる。
「ホームラン?シンカーじゃなったかな。
ランナーがいたし、梶本は内角へシンカーを投げて併殺をねらうつもりだったのだろう。
それが高かったので沈まなかったようだ。
ボールの回転はたしかにシンカーと思ったが・・・」さすが捕手だけに投手の心理を読むのはお手のもの。
ヤマを張っていたようだ。
「今シーズン好調の原因は」「走者のいるときが多く、どうしてもという気持ちからボールにくいついていける。
それ以外になにもないだろう。
腰の痛みは守備についているときだけこたえるね。
打つ方は別に関係はない」今夜の4打点で今シーズン22打点。
これは西鉄では豊田(32)田中久(29)についで三番目。
スラッガー?河合は思わぬところですごみを発揮している。

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