元太平洋の中島弘美投手を知ってますか? 1973年 アメリカ帰りのルーキー中島が初勝利を飾った。九月二十七日の対南海戦に次いで二度目の登板だが先発は初めて。新人ながら、落ち着いたプレートさばきは来年が大いに楽しめる。「まぐれですが、向こうでの勝利よりやはりうれしい。アメリカではだれも知ってる人はいないが、日本にはたくさんいますからね。きょうは腰が痛くてコンディションはよくなかったが、シュートがよかったと思います。先発ですか?きょう外野でランニングをしているときにいわれました。まさかこんなに早く先発できるとは思いませんでした」ドラフト一位で入団した中島だが、シーズン当初から米国1A、カリフォルニア・リーグのローダイ・ライオンズに野球留学。そこでは13試合に登板して6勝3敗、前期の優勝に大きく貢献した。この経験は大きな自信になっているに違いない。本人も「シュートを覚えたのがこの勝利に役立ちました」といっている。だが、青木専務にいわせると「向こうで投げているときよりスピードがない。ひじを痛めてからちょっと落ちた感じやな。しかしなかなか落ち着いている。のんびりした性格だからあまり緊張せんのやろ」と笑う。そういえば、カリフォルニア州のサリナスでゲーム中、落ちる球を投げたときにひじを痛め、帰国してからも約一ケ月病院通いをしていた。「もう大丈夫」故障は治ったらしいが、持ち前の強心臓のエピソードをちょっと探ってみた。聞くところによれば、ローダイへ行った直後は英語が全然わからず。投手と野手に分かれて練習をするように指示されながら一生懸命ランニングをしていたという。そして、優勝するときは、飛行機の中から何から何まで青木専務のあとに引っついて離れない。知らない土地でもあり、不安なのだろうと思っていたらしいが、同専務が「どうしてオレのあとばかりついているんだ」と聞くと「専務と一緒にいると食事代がいらないから」という返事が返ってきたらしい。「ブルペンでは足を震わせていたらしいが、ヤツはいい心臓しているよ」持ち前の度胸のほうは専務の折り紙つき。稲尾監督は「まあまあやな。初先発なのでもう一つスピードがなかったが上出来だ。まあ徐々に自信をつけさせていく」と期待の大きい若手の台頭に目を細めていた。