1988年10月。
俺達の心意気を見てくれと パイオニア戦志を旗揚げしたはいいが2年余りで立ち行かなくなりました。
剛はパイオニアを放り出して、菅原は美味しい話を聞かされてSWSに行ってしまった 。
一番損な役回りだったのは要領の悪い高杉でした。
オリエンタルの時もそうだったけど、結果的にパイオニアの残党を引き受ける形となりました。
質問は菅原がSWSに引っ張ったのだけど高杉ではダメだったかという事です。
実力的にはパイオニアの時には負けているけど全日本のセブン時には負けた事がなかった。
SWSにはウルティモドラゴンも合流した事もあったからウルティモドラゴン対ウルトラセブンというマッチメイクも組めたと思うのです。
やはり当時のSWSは全日本で実績のあった 高杉(セブン)よりも若い菅原の将来性を買って引っ張ったのでしょうか?(と言っても当初は北尾のスパーリングパートナーという 立場だったと思うけど) もうひとつの質問は84年11月に全日本さ去ってしまったセブンだけど何とか踏みとどまって前座でコツコツやり直して4年くらい辛抱する事が出来たとしたら、89年に 三沢タイガーや小林、キッド、スミス、斎藤が去って上げ底になってしまった全日本 Jr.戦線で再び浮上出来たと思いますか? 井上、仲野、百田といった実力はあるが華の無い選手が世界Jr.のベルトを巻いていた頃です。
井上は無理としても仲野か百田からワンクッション的にでも世界Jr.タイトルを奪還してベルトを腰に巻ける奇跡を起こせたと思いますか? 良かったら皆さんの回答お待ちしています
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