元阪急の早瀬方禧選手を知ってますか? 1963年 雨さえ降らなければ、毎朝十時になると西宮球場の重いとびらを押しあけて

元阪急の早瀬方禧選手を知ってますか? 1963年  雨さえ降らなければ、毎朝十時になると西宮球場の重いとびらを押しあけて

元阪急の早瀬方禧選手を知ってますか? 1963年 雨さえ降らなければ、毎朝十時になると西宮球場の重いとびらを押しあけてグラウンドにとび出す若い選手、それが早瀬だ。一人で根気よくグラウンドを一周、また一周。全力疾走とふつうのランニングを交互にたっぷり一時間。グッショリ汗をかくと球場のすぐそばにある合宿へ帰っていく。ランニングにうち込んでいるのは、西本監督からこう注意されたからだ。「君は太りそうなからだつきだ。現在のからだ(1㍍71、75㌔)ならまあまあだが、太ったら腰の回転がきかなくなって、バッティングが鈍くなる。守っても動作がスムーズにいかないよ」出身地名古屋の名物はきしめん(東京でいうひもかわうどん)これが大の好物。中京大時代には朝食からきしめんをどんぶりで三、四杯ペロリとたいらげたそうだ。しかしいまはめん類はいっさい食べない。米飯もなるだけ少なくし、肉と生野菜を主食にしている。「でんぷんは太るでいかんわ」名古屋弁でいった。西本監督がほれ込んでいるのは、高知のキャンプで見せたシュアなバッティングもそうだが、なによりもいわれたことをあくまでやり通そうとする性格だ。オープン戦ではさっそく五番を打たせてためしてみたが、西本監督の採点は合格点。ウエスタンでは中堅を守って常時三番。三試合で十三打数三安打、1打点をあげて順調な成績だ。「ずば抜けた素質があるわけじゃないし、ふつうの練習をやっていては、レギュラーにはなれないと思います。ぼくは研修期間中走れるだけ走ろうと思っているんです」こんな早瀬を、梶本(兄)はかわいくてしようがないようだ。「まだ顔もよく知らないうちから、オレの部屋にはいってきて各球団の投手についていろいろ聞くんだ。合宿の中でも」合宿の早瀬の部屋の窓から球場のノイトが見える。「早くあの光の中で思い切ってプレーをしたいものですね」公式戦が五十試合を追えるのがほんとうに待ち遠しそうだ。二十二歳、中京商・中京大出身、右投右打。今春入団。

知らなかったので調べました。 中京商業高校では、3年時の1958年に左翼手、控え投手として春夏の甲子園に出場。 春の選抜では決勝で済々黌と対戦、この試合では自身もエース伊藤竜彦をリリーフして活躍したが、1-7で敗退し準優勝に終わる。 夏の甲子園でも2回戦で同じ済々黌に敗れる。 1年下のチームメートに遊撃手の石黒和弘、控え投手の平沼一夫(中京大-西濃運輸-東京オリオンズ)がおり、彼等は翌1959年春の選抜優勝の中軸となる。 卒業後は中京大学へ進学。 エースとなった平沼らを擁し、愛知大学リーグでは8シーズン連続優勝。 全日本大学野球選手権大会でも4年連続準決勝進出。 リーグ通算91試合出場、308打数87安打、打率.282、5本塁打、54打点。首位打者2回、ベストナイン6回受賞。 卒業後の1963年、阪急ブレーブスへ入団。 プロ1年目から左翼のレギュラーを獲得し、5番打者として94試合に出場した。 1965年には3番・右翼手で117試合に出場し、打率.268はチームで2番目の成績だった。 1967年には5番打者として、阪急のパシフィック・リーグ初優勝に貢献した。 1968年には矢野清の台頭により控えに回るが、代打の切札として活躍し、チームは2年連続でリーグ優勝した。 翌年、阪急は3年連続のリーグ優勝を成し遂げるも、早瀬の出場はわずか10試合にとどまり、この年暮れに戦力外通告を受けた。 1970年より広島東洋カープへ移籍。 しかし全盛期のような活躍はできず、1972年オフに引退した。 引退後は、地元・愛知で焼き鳥屋「やきとりの蕃」を経営した。 2012年8月15日、肺がんのために死去。 72歳没。 通算753試合出場 1834打数 454安打 49本塁打 209打点 .248 背番号 8 (1963年 - 1969年) 3 (1970年 - 1972年) やきとり食べたいなぁ。

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元阪急の早瀬方禧選手を知ってますか? 1963年 雨さえ降らなければ、毎朝十時になると西宮球場の重いとびらを押しあけてグラウンドにとび出す若い選手、それが早瀬だ。一人で根気よくグラウンドを一周、また一周。全力疾走とふつうのランニングを交互にたっぷり一時間。グッショリ汗をかくと球場のすぐそばにある合宿へ帰っていく。ランニングにうち込んでいるのは、西本監督からこう注意されたからだ。「君は太りそうなからだつきだ。現在のからだ(1㍍71、75㌔)ならまあまあだが、太ったら腰の回転がきかなくなって、バッティングが鈍くなる。守っても動作がスムーズにいかないよ」出身地名古屋の名物はきしめん(東京でいうひもかわうどん)これが大の好物。中京大時代には朝食からきしめんをどんぶりで三、四杯ペロリとたいらげたそうだ。しかしいまはめん類はいっさい食べない。米飯もなるだけ少なくし、肉と生野菜を主食にしている。「でんぷんは太るでいかんわ」名古屋弁でいった。西本監督がほれ込んでいるのは、高知のキャンプで見せたシュアなバッティングもそうだが、なによりもいわれたことをあくまでやり通そうとする性格だ。オープン戦ではさっそく五番を打たせてためしてみたが、西本監督の採点は合格点。ウエスタンでは中堅を守って常時三番。三試合で十三打数三安打、1打点をあげて順調な成績だ。「ずば抜けた素質があるわけじゃないし、ふつうの練習をやっていては、レギュラーにはなれないと思います。ぼくは研修期間中走れるだけ走ろうと思っているんです」こんな早瀬を、梶本(兄)はかわいくてしようがないようだ。「まだ顔もよく知らないうちから、オレの部屋にはいってきて各球団の投手についていろいろ聞くんだ。合宿の中でも」合宿の早瀬の部屋の窓から球場のノイトが見える。「早くあの光の中で思い切ってプレーをしたいものですね」公式戦が五十試合を追えるのがほんとうに待ち遠しそうだ。二十二歳、中京商・中京大出身、右投右打。今春入団。

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