元大洋の伊藤勲選手を知ってますか? 1963年 八回大洋の攻撃がはじまる前、三原監督と岩本コーチが2点差を追う代打陣の順番をきめた。残っていたのは黒木、伊藤にマック。伊藤は「九回裏の攻撃がピッチャーのところまでまわり、そのとき中日の投手が左の西尾のままなら代打」といわれた。伊藤は「ぼくのところまでまわるかな」と思いながら、すぐロッカーの大鏡の前で素振りを始めた。その出番は1点差になった九回二死一、三塁。このとき岩本コーチは「三振かホームランのどちらかだ」と思ったそうだ。「二、三年までの若手の中で伊藤はリキと心臓は一番、左にはめっぽう強い。それにきょうはレフトへ風が吹いているし、シンにさえ当たればはいる。でなければ振りまわしての三振だ」この予想はいい方に当った。プロ入り初ホーマーの逆転3ラン。伊藤はダイヤモンドを一周しながら一瞬首をひねった。「はいるなんて自分でもびっくりしました。真ん中あたりのスライダーのような球だったと思います」説明はあいまい。プロ入り三年目で初めてヒーローになったのだから、冷静になれないのもムリはない。ホームランする前、二球目に外角への落ちる球をから振りしている。「あれだけは注意しろといわれたんですが、手を出してしまいました。でもかえって落ちつきました。あとは最後まで球にくいついていくことしか考えなかったです。一軍での打席?ことしはこれで八打席目で、そのうち代打が四回です。ヒットは代打のとき一本、三遊間に打ったことがあるだけです」青ざめた顔色をしながらこれまでの経歴をしゃべった。松原(二年生、飯能高出)と並んで三原監督から「将来の大型捕手」と折り紙をつけられ、キャンプのときに「ことしはずっと一軍で鍛えていく」と目をかけられていた選手だ。「ムッツリしているが、なかなかカケごとも強く、東北人らしく最後まであきらめないねばりがある。やわらか味のある筋肉質のからだはこれからまだまだ大きくなるだろう」これは合宿でよく伊藤のめんどうをみている小林トレーナーの診断。1㍍78、75㌔というりっぱな体格。母校は仙台の名門東北高だ。