ウルトラセブンの正体がもし高杉正彦でなければとして今まで様々なレスラーの名前を上げて来ました。佐山、大仁田、三沢、 越中、冬木、リスマルク。多分に高杉の力不足による所も有りますが、 もう一つの仮説として私はウルトラセブンがマイティー井上だったらを上げたいのです。 ウルトラセブンが全日本プロレスに出現するという情報を初めて知ったのは82年4月 発売の週刊ファイトでした。一体何者? 全日本松根新体制の目玉だからロートルであるわけがな、。正体は韓国人。色んな期待が膨らんで蓋を開ければあんなんでした ( ^∀^) 私は結果的にもしウルトラセブンをマイティー井上にお願いしていたらと思います。井上は国際プロレス崩壊の煽りを受けて戦場を全日本プロレスにシフトします。 81年10月に全日本入団。蔵前でマスカラスのIWA王座に挑戦。ラッシャー木村に次いで国際プロレスNo.2で元IWA王者でもあった。実績は十分、実力は折り紙付きでした 。81年中には一通りの対戦は終わり馬場さんは井上よりもが体のいい阿修羅原に期待をかけていました。 そこで短期ではあるけれど、81年末から82 年6月にかけて井上をヨーロッパ及びメキシコに修行に行って行方をくらます。そして突如として82年7月にウルトラセブンとなって帰ってくるというプランです。小太りのセブンはありますが、それは高杉とて同じでした。結果として井上は83年に全日本Jr.のエース大仁田が大ケガをして長期欠場、代役のウルトラセブンではどうにもならなずにチャボゲレロに渡ったNWAインターJr.王座奪還に向かいます。直ぐには取れませんでしたが、粘り腰で84年2月にチャボからタイトルを奪還します。 もし井上がセブンのマスクを株っていたならウルトラセブンはJr.王者になれていた… そんな事を考えました。82年当時、井上は 34歳。とうは経っていたけどリスマルクも当時33歳で有りだったとも思えるのです。 1984年11月1日後楽園ホール。お役御免で日本を離れるウルトラセブンの全日本ラストマッチがJr.王者だったマイティー井上でした。もしかしたら全日本なりのセブンへのはなむけだったのかと思います。 ウルトラセブンーマイティー井上は有りだったか皆さんの回答お待ちしております 。