元産経の佐藤進投手を知ってますか? 1965年 芦屋の宿舎、竹園を出て甲子園へ向かうとき、大ツブの雨が貸し切りバスをシ

元産経の佐藤進投手を知ってますか? 1965年  芦屋の宿舎、竹園を出て甲子園へ向かうとき、大ツブの雨が貸し切りバスをシ

元産経の佐藤進投手を知ってますか? 1965年 芦屋の宿舎、竹園を出て甲子園へ向かうとき、大ツブの雨が貸し切りバスをシャワーを浴びたようにびっしょりぬらした。「ちきしょう。きょうはやりてえな」前日に先発をいい渡された佐藤進はしゃくな顔をくやしそうににらんだ。十一日に阪神を完封してから六日ぶり。若い力のはけ口を持てあましていた。だが、グラウンドにつくと雨は小降り。佐藤進はうれしそうに空を見あげた。「おれは心がけがいいんだ。絶対いい天気になるぜ」マウンドを踏んだときは六甲の山がきれいな夕やけを見せ、試合は八回まで佐藤進の考えていたとおり進んだ。ピッチングも、完封を飾った日とはガラリと変えて、シュートからスライダーに切りかえたそうだ。「びっくりするくらいスライダーがよく決まった。五回の一死二、三塁のピンチはトヨさん(豊田)が遊撃からアドバイスしてくれ、歩かせてもいいからくさいコースをつけといわれたときは、なんとなくホッとした感じだった」2勝は全部阪神相手。阪神にはものすごい自信を持っている。「ホームラン・バッターがいないから、コースさえ間違えなければまずだいじょうぶだ」コントロールはだれにも負けないという。北海高時代、雪におおわれ、ボールを握れない長い冬にたっぷりランニングをしたおかげだそうだ。雪がジャンジャン降る中をとび出して学校のまわりをたっぷりランニング。全身雪を浴びてナインの前にぬっと顔を出したときから、北海の白クマというニックネームがついたくらいだ。「いくら投げても疲れない」とタフが売りものだった。佐藤進も、九回はエネルギーがからっぽになったという。「スピードが急に落ちてしまった。吉田さんに二塁打を打たれたあとはもう頭がカッカしちゃってなにがなんだかさっぱりわからなかった。岡本さんのサインなんか一度も見ずじまいさ。ほんとうにヒヤヒヤもんだった」このピンチにも佐藤進は二つの自信があった。北海高の五番打者兼投手で甲子園の土を踏んだとき準決勝まで進んだ四年前の記録と、相手が阪神だという余裕。五色の花吹雪を浴びてベンチに立ったときは北海の白クマというにはあまりにもはでな紙吹雪が熊をつつんでいた。

以前学習しましたね。 知ってます。 中学時代は卓球の選手。 北海高校では4番打者・エースとして1960年に春夏連続で甲子園大会に出場。 春の選抜では準決勝まで勝ち上がるが、山口富士雄のいた高松商に敗退。 夏の選手権は準々決勝で静岡高に敗れた。 しかし秋の熊本国体では、決勝で米子東の宮本洋二郎投手に3-0で投げ勝ち優勝。 卒業後は社会人野球の富士鉄室蘭に入社。 1963年の都市対抗に出場。3試合に完投勝利し決勝に進むが、積水化学に3-4で逆転負け。 準優勝にとどまるが久慈賞を獲得。 1964年に国鉄スワローズへ入団。スライダー、カーブ、シュートといった変化球で、コーナーを巧みに突くピッチングが持ち味で、1年目から50試合に登板し、10勝を挙げた。 その後も2年目は13勝、3年目に12勝、4年目には10勝を挙げて新人の年から4年連続で2桁勝利を記録した。 阪神戦に強く、「虎殺し」の異名があった。 また打撃がよく、1967年の東京球場での中日ドラゴンズ戦では板東英二からサヨナラホームランを放っている。 しかし、翌1968年は3勝、1969年は0勝に終わる。 1970年に中日ドラゴンズへ移籍。 この年は二年ぶりに勝利を挙げる。 翌1971年は1軍での登板機会が無く、打者への転向を図る。 同年は投手登録ながら代打で9試合に出場し、7打数2安打(.286)の成績を残した。だが、結局この年限りで現役を引退した。 引退後はブリヂストンスポーツ東京の販売課長となった。 通算214試合登板 50勝69敗 防御率3.19 背番号 29 (1964年 - 1967年、1970年 - 1971年) 12 (1968年 - 1969年)

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元産経の佐藤進投手を知ってますか? 1965年  芦屋の宿舎、竹園を出て甲子園へ向かうとき、大ツブの雨が貸し切りバスをシ

元産経の佐藤進投手を知ってますか? 1965年 芦屋の宿舎、竹園を出て甲子園へ向かうとき、大ツブの雨が貸し切りバスをシャワーを浴びたようにびっしょりぬらした。「ちきしょう。きょうはやりてえな」前日に先発をいい渡された佐藤進はしゃくな顔をくやしそうににらんだ。十一日に阪神を完封してから六日ぶり。若い力のはけ口を持てあましていた。だが、グラウンドにつくと雨は小降り。佐藤進はうれしそうに空を見あげた。「おれは心がけがいいんだ。絶対いい天気になるぜ」マウンドを踏んだときは六甲の山がきれいな夕やけを見せ、試合は八回まで佐藤進の考えていたとおり進んだ。ピッチングも、完封を飾った日とはガラリと変えて、シュートからスライダーに切りかえたそうだ。「びっくりするくらいスライダーがよく決まった。五回の一死二、三塁のピンチはトヨさん(豊田)が遊撃からアドバイスしてくれ、歩かせてもいいからくさいコースをつけといわれたときは、なんとなくホッとした感じだった」2勝は全部阪神相手。阪神にはものすごい自信を持っている。「ホームラン・バッターがいないから、コースさえ間違えなければまずだいじょうぶだ」コントロールはだれにも負けないという。北海高時代、雪におおわれ、ボールを握れない長い冬にたっぷりランニングをしたおかげだそうだ。雪がジャンジャン降る中をとび出して学校のまわりをたっぷりランニング。全身雪を浴びてナインの前にぬっと顔を出したときから、北海の白クマというニックネームがついたくらいだ。「いくら投げても疲れない」とタフが売りものだった。佐藤進も、九回はエネルギーがからっぽになったという。「スピードが急に落ちてしまった。吉田さんに二塁打を打たれたあとはもう頭がカッカしちゃってなにがなんだかさっぱりわからなかった。岡本さんのサインなんか一度も見ずじまいさ。ほんとうにヒヤヒヤもんだった」このピンチにも佐藤進は二つの自信があった。北海高の五番打者兼投手で甲子園の土を踏んだとき準決勝まで進んだ四年前の記録と、相手が阪神だという余裕。五色の花吹雪を浴びてベンチに立ったときは北海の白クマというにはあまりにもはでな紙吹雪が熊をつつんでいた。

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