元中日の伊藤久敏投手を知ってますか? 1971年 この日は家から球場までどのような道順でやってきたのかまるで覚えていな

元中日の伊藤久敏投手を知ってますか? 1971年  この日は家から球場までどのような道順でやってきたのかまるで覚えていな

元中日の伊藤久敏投手を知ってますか? 1971年 この日は家から球場までどのような道順でやってきたのかまるで覚えていないという。タクシーの中でこの夜のピッチングの台本をあれこれ描いていた。開幕以来、ひさびさにめぐってきた先発を初白星に結びつける努力をしていたわけだ。その台本は、一発長打のある藤田平とカークランドの二人は徹底的にマークし、なんとか3点以内に押える。藤田平とは多分四度対戦するだろう。全部押えるのはむずかしそうだが、三度は勝てそう。藤田平さえ押えられれば勝てるーというものだった。試合前のミーティングで、その台本の整理をした。山中スコアラーのメモから得た若い桑野と西村には要注意。当っているという項目を加え、マウンドに立った。「開幕戦で当ったときとくらべ、この夜の阪神打線はやや勢いがなくなっている」とすぐに直感し「現在自分の調子はいい。しばらく試合に出ていないのは調子が悪いからではない。3点以内に押えられそうだ」と思っていたそうだ。しばらく投げているうちに相手のペースを冷静に読みとった。「阪神打線は打ち気にはやっている。それなら・・・」と、新宅捕手と相談し、自分の持ってる球種(ストレート、カーブ、シュート、シンカー、フォーク)をフルに使って打ち気をそらす戦術に出た。それがうまくいった。「向こうさんはさぞ的がしぼりにくかったでしょう。一、二回には横からのゆさぶりも入れました」試合後、してやったりといった表情で話す。八回の2失点がバックのエラーによるものであるのを承知のうえで「辻さんに打たれた自分がいけなかったんです。ぼくの悪いくせで球威もないのにど真ん中へ投げてストライクをとりにいきました」と自分を責める余裕。インタビューの最中、笑顔がのぞいたのは話題が藤田平に移ったときだ。「試合前の計算どおりでした。四回対戦し、三度勝って一つ負け(四球)。しかしあの四球は二死無走者だったので、一発を警戒してまともな勝負をさけたんです」藤田平、カークランドを最重点とし、若手の桑野、西村をピタリと押え、失点2の完投勝ち。ストーリーどおりのピッチングが出来てさぞ気分がよかったに違いない。

知らなかったので調べました。 久留米商では、1962年にエース、四番打者として夏の甲子園に出場。 4試合中3試合を完封して勝ち上がり決勝に進む。 決勝では春の優勝校作新学院の加藤斌投手と投げ合うが1-0で惜敗、準優勝にとどまる。 作新学院は甲子園初の春夏連覇。 同年の岡山国体でも決勝で西条に0-2で敗れ準優勝。高校同期に平尾邦彦投手(巨人)がいる。 卒業後は駒澤大学へ進学。 東都大学リーグでは在学中2度の優勝を経験。 リーグ通算45試合登板し、14勝7敗、防御率1.76、94奪三振。大学同期に土屋紘投手、大下剛史遊撃手、後藤和昭三塁手がいる。 ノンプロ日通に入社が内定していたが、1967年に中日ドラゴンズへ入団[1]。 左の速球派として期待され、1年目から中継ぎとして28試合登板。 1969年には先発陣に加わるが、わずか3勝と結果を残せなかった。 しかし5年目の1971年に一躍12勝を挙げ素質が開花。 同年のオールスターゲームにも初出場したが、翌年以降は故障もあり成績が低下。 1974年限りで自由契約となり、1975年に太平洋クラブライオンズへ移籍するが、僅か8試合の登板に終りこの年限りで引退。 球種はスライダー、カーブ、シュート。 現在は久留米シニアベースボールクラブに所属。 通算251試合登板 26勝31敗 防御率3.32 オールスターゲーム出場:1回 (1971年) 背番号 16 (1967年 - 1974年) 18 (1975年)

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元中日の伊藤久敏投手を知ってますか? 1971年 この日は家から球場までどのような道順でやってきたのかまるで覚えていないという。タクシーの中でこの夜のピッチングの台本をあれこれ描いていた。開幕以来、ひさびさにめぐってきた先発を初白星に結びつける努力をしていたわけだ。その台本は、一発長打のある藤田平とカークランドの二人は徹底的にマークし、なんとか3点以内に押える。藤田平とは多分四度対戦するだろう。全部押えるのはむずかしそうだが、三度は勝てそう。藤田平さえ押えられれば勝てるーというものだった。試合前のミーティングで、その台本の整理をした。山中スコアラーのメモから得た若い桑野と西村には要注意。当っているという項目を加え、マウンドに立った。「開幕戦で当ったときとくらべ、この夜の阪神打線はやや勢いがなくなっている」とすぐに直感し「現在自分の調子はいい。しばらく試合に出ていないのは調子が悪いからではない。3点以内に押えられそうだ」と思っていたそうだ。しばらく投げているうちに相手のペースを冷静に読みとった。「阪神打線は打ち気にはやっている。それなら・・・」と、新宅捕手と相談し、自分の持ってる球種(ストレート、カーブ、シュート、シンカー、フォーク)をフルに使って打ち気をそらす戦術に出た。それがうまくいった。「向こうさんはさぞ的がしぼりにくかったでしょう。一、二回には横からのゆさぶりも入れました」試合後、してやったりといった表情で話す。八回の2失点がバックのエラーによるものであるのを承知のうえで「辻さんに打たれた自分がいけなかったんです。ぼくの悪いくせで球威もないのにど真ん中へ投げてストライクをとりにいきました」と自分を責める余裕。インタビューの最中、笑顔がのぞいたのは話題が藤田平に移ったときだ。「試合前の計算どおりでした。四回対戦し、三度勝って一つ負け(四球)。しかしあの四球は二死無走者だったので、一発を警戒してまともな勝負をさけたんです」藤田平、カークランドを最重点とし、若手の桑野、西村をピタリと押え、失点2の完投勝ち。ストーリーどおりのピッチングが出来てさぞ気分がよかったに違いない。

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