1983年5月。アントニオ猪木のプロレス人生の集大成と言える第1回IWGPリーグ戦がありました。構想から3年かけて実現し

1983年5月。アントニオ猪木のプロレス人生の集大成と言える第1回IWGPリーグ戦がありました。構想から3年かけて実現し

1983年5月。アントニオ猪木のプロレス人生の集大成と言える第1回IWGPリーグ戦がありました。構想から3年かけて実現した大イベントでした。NWAやAWA王者の参戦こそありませんでしたが、実力世 界一を競う10選手が終結して大盛況にイベントは終わりました。 しかし、IWGPの最初に掲げた趣旨からは修正を余儀なくされた部分もありました。当初IWGPはアメリカ、カナダ、南米、中近東 、ローロッパとサーキットを行いながらリーグ戦を行いその収益の一部はチャリティーとして寄付、世界サーキットを終えて日本に戻ってからのIWGP決勝戦は国立競技場で行う。来賓にアメリカ大統領と日本の中曽根首相を呼ぶという壮大な物でした 。いかにも猪木や新間さんが考えそうな事です。それからは大分縮小されて決勝戦は 6.2蔵前国技館、来賓も無かっのだけど… 世界サーキットを行った時の代換えとして タイガーマスクを中心としたJr.リーグ戦を考えていたそうです。しかし、各地のプロモーターからIWGPという金看板を他所の国でやってもらうなどたまったもんではない 。そんな事をされては困る(当然の反応) という突き上げもあって従来通りの興業形態でIWGPは行われました。 しかし歴史にifがあると仮定してもしも猪木が望んだようなIWGPが世界ツアーを行ったとして佐山中心のIWGPJr.リーグ戦が代換えで行われたとしたら興業として成り立ったと思いますか?なりき厳しかった、試合数も5~6試合しか組めないかもとかネガティブな面もあるけど、あの当時の新日本プロレスで最大の観客動員力があったのはエースの猪木ではなくてタイガーマスクだったという事実があります。それは前年82年に移行されていた。そこにいちるの望みがあるのだけど… ヘビー級は10選手参戦でしたがJr.ヘビー級は12選手の精鋭をリストアップ!! 日本(アジア)代表 タイガーマスク 小林邦昭 ウルトラセブン(全日本) アメリカ代表 チャボゲレロ(全日本) エディギルバート カナダ(北米)代表 ブレットハート ザ.コブラ ローロッパ代表 ダイナマイトキッド ブラックタイガー デービーボーイスミス メキシコ(中南米)代表 フィッシュマン リスマルク 当時のトップ中のトップを選びました。一部、そうでない選手もいますが( ^∀^) マスクマンが6人、コブラがカナダ代表とかなり無理のあるエントリーですが。 全日本は当時、大仁田厚が試合後のアクシデントで膝を大ケガして欠場。空位のNWA インターJr.王座決定リーグ戦を行う時でした。そこを何とかJr.ヘビー級実力世界一と言われていたチャボとその弟のヘクターに勝った実績でウルトラセブンをIWGPJr.リーグ戦にエントリー。その見返りに新日本は IWGPにエントリーされなかった坂口とブッチャーが1、2試合全日本のビックマッチに参戦。坂口は馬場と東京タワーズを再結成してハンセン&ブローディと対戦、3年ぶりの出戻り参戦のブッチャーは話題沸騰のグレートカブキと初対決。 尚、全日本参戦以外はてこ入れに坂口とブッチャーが参戦。全日本で5.26天竜大会で行う予定だったJr.リーグ戦決勝戦はスライドして6.9蔵前でチャボゲレロ対ウルトラセブンの王座決定戦にスライド変更する。 セブンに都合のいい話だけど。 新日本6.2蔵前では世界ツアーから帰った IWGP決勝戦猪木対ホーガンのダブルメインとしてIWGPJr.決勝戦が行われる。 タイガーマスク対チャボゲレロが私の理想ですが、その後の全日本でのNWAインターJr.王座決定戦との兼ね合いもあって タイガーマスク対ダイナマイトキッドに落ち着くのかなと思います。 壮大な妄想ですが、もしも83年5~6月にIWGPJr.リーグ戦が行われたとしたら興業的に成り立ったか、そして決勝戦のカードはどうなったと思いますか? 回答よろしくお願いします( ^∀^)

第1回IWGP開幕戦は福岡で開催され、生観戦しました。 セレモニーがやけに寂しくて、わざわざマクマホンシニアも来て1億円のベルトを観客に紹介していましたが、1億円のベルトならガードマンが必ず側にいるやんとか突っ込んでいました。ヨーロッパ代表が前田、アメリカ代表がキラーカーンとか結局尻切れトンボになって半ばシラけていました。 初代タイガーを中心にしても、結局は世界統一コミッショナーとかいないので、ifの世界でも興行的には相当厳しいでしょうね。 しかし、IWGP構想を打ち出した猪木は、それが単なる思いつきでも流石だと思います。 あっ、IWGP日本予選、猪木VS戸口以外に試合ありましたかね?

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1983年5月。アントニオ猪木のプロレス人生の集大成と言える第1回IWGPリーグ戦がありました。構想から3年かけて実現し

1983年5月。アントニオ猪木のプロレス人生の集大成と言える第1回IWGPリーグ戦がありました。構想から3年かけて実現した大イベントでした。NWAやAWA王者の参戦こそありませんでしたが、実力世 界一を競う10選手が終結して大盛況にイベントは終わりました。 しかし、IWGPの最初に掲げた趣旨からは修正を余儀なくされた部分もありました。当初IWGPはアメリカ、カナダ、南米、中近東 、ローロッパとサーキットを行いながらリーグ戦を行いその収益の一部はチャリティーとして寄付、世界サーキットを終えて日本に戻ってからのIWGP決勝戦は国立競技場で行う。来賓にアメリカ大統領と日本の中曽根首相を呼ぶという壮大な物でした 。いかにも猪木や新間さんが考えそうな事です。それからは大分縮小されて決勝戦は 6.2蔵前国技館、来賓も無かっのだけど… 世界サーキットを行った時の代換えとして タイガーマスクを中心としたJr.リーグ戦を考えていたそうです。しかし、各地のプロモーターからIWGPという金看板を他所の国でやってもらうなどたまったもんではない 。そんな事をされては困る(当然の反応) という突き上げもあって従来通りの興業形態でIWGPは行われました。 しかし歴史にifがあると仮定してもしも猪木が望んだようなIWGPが世界ツアーを行ったとして佐山中心のIWGPJr.リーグ戦が代換えで行われたとしたら興業として成り立ったと思いますか?なりき厳しかった、試合数も5~6試合しか組めないかもとかネガティブな面もあるけど、あの当時の新日本プロレスで最大の観客動員力があったのはエースの猪木ではなくてタイガーマスクだったという事実があります。それは前年82年に移行されていた。そこにいちるの望みがあるのだけど… ヘビー級は10選手参戦でしたがJr.ヘビー級は12選手の精鋭をリストアップ!! 日本(アジア)代表 タイガーマスク 小林邦昭 ウルトラセブン(全日本) アメリカ代表 チャボゲレロ(全日本) エディギルバート カナダ(北米)代表 ブレットハート ザ.コブラ ローロッパ代表 ダイナマイトキッド ブラックタイガー デービーボーイスミス メキシコ(中南米)代表 フィッシュマン リスマルク 当時のトップ中のトップを選びました。一部、そうでない選手もいますが( ^∀^) マスクマンが6人、コブラがカナダ代表とかなり無理のあるエントリーですが。 全日本は当時、大仁田厚が試合後のアクシデントで膝を大ケガして欠場。空位のNWA インターJr.王座決定リーグ戦を行う時でした。そこを何とかJr.ヘビー級実力世界一と言われていたチャボとその弟のヘクターに勝った実績でウルトラセブンをIWGPJr.リーグ戦にエントリー。その見返りに新日本は IWGPにエントリーされなかった坂口とブッチャーが1、2試合全日本のビックマッチに参戦。坂口は馬場と東京タワーズを再結成してハンセン&ブローディと対戦、3年ぶりの出戻り参戦のブッチャーは話題沸騰のグレートカブキと初対決。 尚、全日本参戦以外はてこ入れに坂口とブッチャーが参戦。全日本で5.26天竜大会で行う予定だったJr.リーグ戦決勝戦はスライドして6.9蔵前でチャボゲレロ対ウルトラセブンの王座決定戦にスライド変更する。 セブンに都合のいい話だけど。 新日本6.2蔵前では世界ツアーから帰った IWGP決勝戦猪木対ホーガンのダブルメインとしてIWGPJr.決勝戦が行われる。 タイガーマスク対チャボゲレロが私の理想ですが、その後の全日本でのNWAインターJr.王座決定戦との兼ね合いもあって タイガーマスク対ダイナマイトキッドに落ち着くのかなと思います。 壮大な妄想ですが、もしも83年5~6月にIWGPJr.リーグ戦が行われたとしたら興業的に成り立ったか、そして決勝戦のカードはどうなったと思いますか? 回答よろしくお願いします( ^∀^)

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