元大洋の鵜沢達雄投手を知ってますか? 1972年 真っ青な顔をしてベンチに引き揚げ、突じょ鵜沢が手で顔をおおったとき、

元大洋の鵜沢達雄投手を知ってますか? 1972年  真っ青な顔をしてベンチに引き揚げ、突じょ鵜沢が手で顔をおおったとき、

元大洋の鵜沢達雄投手を知ってますか? 1972年 真っ青な顔をしてベンチに引き揚げ、突じょ鵜沢が手で顔をおおったとき、首脳陣はバクチが最初から勝ち味がなかったことをさとった。鵜沢の鼻血がすべてをあらわしている。リリーフで2勝をあげ、新人王にも名乗りをあげた十九歳の少年。その自信を一気に巨人戦にぶつけた結果が、興奮のあまり十九球のKOだ。王はいう。「シュートとストレートだけで攻めてきた」しかし実際は、十九球全部ストレート。それに肩に力がはいり、自然と落ち、王はそれをシュートと勘違いしたのだ。あの阪神の江夏でさえ、六年前のデビューで首脳陣は細心の注意を払っていた。藤本監督(現評論家)は他チーム相手に先発の経験を積ませ、巨人戦のリリーフで場なれさせ万全の準備をしたうえに巨人戦の初先発にもってきた。確かペナント・レースも中盤の八月だった。初先発でも堅くなる。そのうえ相手が巨人ともなれば、さらにその重圧は加わる。ところが鵜沢は、その二つの負担をいっぺんにかぼそい両肩に背負った。「力がはいって、ねらったところにボールがいかないんです。ボールが指にひっかからない。みんな真ん中へはいってしまうんです」少しでも負担を軽くするように、秋山コーチはこの日球場入りしてすぐ先発を伝えたのだが・・・。「ブルペンでは球が走っていたんですけど・・・。それがマウンドでちっとも出てこないんです」平松、坂井は中二日の休養。投げさせる投手がいなかった苦しい台所も反映していたが、青田ヘッド・コーチは、鵜沢に大洋の優勝のキーをあずけている。「優勝への一つの投資として考えたい。いま日本球界は、速い球を打てない傾向にある。だから、速球投手をつくるため、これからもドンドン使っていく。この負けがシーズンが終わったときに何倍かになってかえってくればいいじゃないか」気になるのは鵜沢のショック度だ。立ち上がれないほどだったら、この日の起用はどこをみても失敗だ。「ショックですか?ないです。自分のピッチングをして打たれたんじゃないですからね。こんどですよ、勝負は」強がりには聞こえなかった。

知らなかったので調べました。 成東高では2年生からエースとして活躍。 1969年には夏の甲子園県予選準決勝に進出するが、千葉商に敗退。 1970年夏は市原高戦でノーヒットノーランを達成、東関東大会決勝まで勝ち進むが、渡辺進遊撃手のいた銚子商に1-2xで9回サヨナラ負け、甲子園には出場できなかった。 同年ドラフト4位で大洋に入団。 速球派右腕と期待され、2年目の1972年に5勝をあげるが、その後は伸び悩む。 1978年オフに基満男との交換トレードで、根本隆と共に西武に移籍した。 しかしここでは登板機会にあまり恵まれず、1980年限りで現役引退。 入団当時はエース平松政次と変わらないほど威力のあるストレートを持ち、変化球としては落差の大きなカーブ、シュートを投げた。 持ち味の速球のリリース・ポイントがバラバラで、そのため制球が安定せず伸び悩む原因となった。 球種が少ないのも致命的だった。 1976年7月23日、読売ジャイアンツの王貞治に通算700号本塁打を打たれた投手である(なお、この時の生中継のVTRは現在もテレビ朝日(生中継当時はNETテレビ)に映像記録として残っている)。 元中日ドラゴンズの鈴木孝政は高校の2年後輩。 通算84試合登板 7勝11敗1S 防御率4.65 背番号 59 (1971年 - 1972年途中) 18 (1972年途中 - 1978年) 20 (1979年 - 1980年)

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元大洋の鵜沢達雄投手を知ってますか? 1972年  真っ青な顔をしてベンチに引き揚げ、突じょ鵜沢が手で顔をおおったとき、

元大洋の鵜沢達雄投手を知ってますか? 1972年 真っ青な顔をしてベンチに引き揚げ、突じょ鵜沢が手で顔をおおったとき、首脳陣はバクチが最初から勝ち味がなかったことをさとった。鵜沢の鼻血がすべてをあらわしている。リリーフで2勝をあげ、新人王にも名乗りをあげた十九歳の少年。その自信を一気に巨人戦にぶつけた結果が、興奮のあまり十九球のKOだ。王はいう。「シュートとストレートだけで攻めてきた」しかし実際は、十九球全部ストレート。それに肩に力がはいり、自然と落ち、王はそれをシュートと勘違いしたのだ。あの阪神の江夏でさえ、六年前のデビューで首脳陣は細心の注意を払っていた。藤本監督(現評論家)は他チーム相手に先発の経験を積ませ、巨人戦のリリーフで場なれさせ万全の準備をしたうえに巨人戦の初先発にもってきた。確かペナント・レースも中盤の八月だった。初先発でも堅くなる。そのうえ相手が巨人ともなれば、さらにその重圧は加わる。ところが鵜沢は、その二つの負担をいっぺんにかぼそい両肩に背負った。「力がはいって、ねらったところにボールがいかないんです。ボールが指にひっかからない。みんな真ん中へはいってしまうんです」少しでも負担を軽くするように、秋山コーチはこの日球場入りしてすぐ先発を伝えたのだが・・・。「ブルペンでは球が走っていたんですけど・・・。それがマウンドでちっとも出てこないんです」平松、坂井は中二日の休養。投げさせる投手がいなかった苦しい台所も反映していたが、青田ヘッド・コーチは、鵜沢に大洋の優勝のキーをあずけている。「優勝への一つの投資として考えたい。いま日本球界は、速い球を打てない傾向にある。だから、速球投手をつくるため、これからもドンドン使っていく。この負けがシーズンが終わったときに何倍かになってかえってくればいいじゃないか」気になるのは鵜沢のショック度だ。立ち上がれないほどだったら、この日の起用はどこをみても失敗だ。「ショックですか?ないです。自分のピッチングをして打たれたんじゃないですからね。こんどですよ、勝負は」強がりには聞こえなかった。

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