柔道 古賀稔彦選手の敗戦について 1990年、当時75kg前後という軽量にもかかわらず体重無差別の全日本柔道選手権大会

柔道 古賀稔彦選手の敗戦について  1990年、当時75kg前後という軽量にもかかわらず体重無差別の全日本柔道選手権大会

柔道 古賀稔彦選手の敗戦について 1990年、当時75kg前後という軽量にもかかわらず体重無差別の全日本柔道選手権大会で重量級の選手を次々と撃破し、決勝進出。 決勝で当時最重量(95kg超)級の世界チャンピオンだった小川直也と対戦、足車にしとめられ、惜しくも準優勝。古賀の回顧によれば「柔道の試合で自分の体が宙に飛んだのはあれが生まれて初めて」だという。 WIKIに書かれていましたが、「柔道の試合で自分の体が宙に飛んだのはあれが生まれて初めて」というのは本当でしょうか?古賀選手はそれ以前にも投げられて一本負けしてる試合があったような気がしますが・・・

質問者さんの記憶は間違っていません。確かに古賀選手は全国大会の団体戦の決勝で代表戦の試合で払い腰で一本負けしています。 1982年 全国中学校柔道大会 決勝 荒井中(兵庫)代表戦 弦巻(東京) 〇中谷弘 払い腰 古賀稔彦 この大会2連覇がかかっていた弦巻中はエースの古賀選手を中心とした軽量チームで決勝進出しました。中堅で登場した古賀選手は背負い投げで一本勝ちして1-0のまま大将戦へ。しかしエースの中谷選手を大将に置いた荒井中は大将戦を一本勝ちで1-1のタイに戻して土壇場で同点に追いつき、勝敗は大将戦に持ち込まれました。ここで古賀選手と中谷選手との代表戦になったのですが、体格差で劣勢が否めない古賀選手がやはり押される展開に。よくしのいでいましたが、結局中谷選手の強引な内股から払い腰への連絡技にたまらず跳ね上げられてしまい裏返されて一本負け。弦巻の連覇の夢はあと一歩のところで夢と消えました。 ですから、「柔道の試合で自分の体が宙に飛んだのはあれが生まれて初めて」というのは古賀氏の記憶間違いですね。

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柔道 古賀稔彦選手の敗戦について 1990年、当時75kg前後という軽量にもかかわらず体重無差別の全日本柔道選手権大会で重量級の選手を次々と撃破し、決勝進出。 決勝で当時最重量(95kg超)級の世界チャンピオンだった小川直也と対戦、足車にしとめられ、惜しくも準優勝。古賀の回顧によれば「柔道の試合で自分の体が宙に飛んだのはあれが生まれて初めて」だという。 WIKIに書かれていましたが、「柔道の試合で自分の体が宙に飛んだのはあれが生まれて初めて」というのは本当でしょうか?古賀選手はそれ以前にも投げられて一本負けしてる試合があったような気がしますが・・・

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