匿名さん
元大洋の関口一郎投手を知ってますか? 1958年 昨春の六大学リーグ、慶明二回戦に関口が登場しなければ、彼に誘いをかけるプロ球団はおそらくなかったのではあるまいか。
というのは、彼の場合、性格の弱さがわざわいしてヒノキ舞台ではついぞ日の目をみたことがなかったからだ。
彼は練習のときやオープンゲームでは強打者連を簡単に料理するが、いざ神宮のマウンドを踏むと、スピードががた落ちするブルペンエースにすぎなかった。
ところが最高学年を迎えた昨春、慶明戦で強打の慶應を五安打に封じてシャット・アウト。
いらいめきめきと自信をつけ、押しも押されぬエースとなった。
このゲームは彼が明治に入ってから三度目の登板。
二十九年秋の慶明戦では見事にKOされているだけに、彼の先発を危ぶむものが多かった。
しかし島岡監督が反対を押しきって起用したのは、三十年冬の台湾遠征での彼の活躍ぶりと、精神的な成長を高く評価したからだという。
春秋の筆法を借りるなら台湾での秋山の不調が、こんにち関口を生んだわけだ。
明治高校時代、迫畑監督に教えを受けたのがキッカケで大洋に入ったが、下半身が弱いのを意識して、シーズン・オフにもランニングをつづけたとのこと。
キャンプ・イン前半には期待していない、と迫畑監督はごく控え目だが、もともと素質には恵まれている。
「手足がすっかり固くなって、自分でも情けなかった」と公式戦に初登場したさいの思い出を先輩の沖山が語っていたが、あがってもともと、なんどか登板するうちには自信もつこう。
大洋の左投手といえばかつてのエース権藤や小林経と鈴木ぐらい。
なによりもこれらの旧人にとってかわるぐらいの意気ごみと自信を持って投げまくることだ。
身長1㍍77、体重73㌔、21歳、背番号25。