88年は雨がらみ。
水しぶきが上がらない程度の雨の中、各車はスリックタイヤで走っていました。
スタートをミスしたセナが追い上げている時に若干強くなりましたがセナのペースは衰えず、時には1周でプロストに対して5秒も差を詰めました。
またセナがプロストを抜いた際は、プロストがシケインで周回遅れの集団に引っかかり、先を焦ったプロストが立ち上がりで縁石に大きく乗ってタイムロスしたことで、セナにスリップに付かれる隙を与えました。
ちなみにこのレースでのプロストは、それよりも前の段階で一度同じ場所でミスをしています。
この時も立ち上がりで大きくタイムロスをし、その時2位を走っていたカペリに最終コーナーから1コーナーにかけて並ばれています。
翌年の89年は、プロストが予選でセナに1.7秒の大差を付けられたことで、いつものセナの後ろでチャンスを伺う作戦ではなく、スタートで何が何でもトップに立ち、逃げ切る戦略を取りました。
そのためセナに対して軽いウイングを使用し、ある程度コーナーリング速度を犠牲にしてもストレートスピードを稼ぐセッティングに変更しました。
結果、作戦は成功し、フライングスレスレ(現代の基準ならアウト)のスタートでトップに出るとセナを抑え込んで行きました。
優勝しなければチャンピオンの可能性が消えるセナは、ストレートで離されスリップストリームに入れず、ヘアピンやシケインなどの低速コーナーに勝負をかけるしかありませんでしたが、そのことは同じマシンに乗るプロストも良くわかっていました。
その結果はご存知の通り。