匿名さん
清原よ、君は多くの人を喜ばせてきた数少ない人間だ。
PL学園で5季連続甲子園出場。
1年夏、桑田とのkKコンビで池田を倒し、決勝戦で本塁打を放つ。
2年時は春夏共に準優勝に終わったものの、本塁打を打ちまくり、桁違いの能力を存分に見せつけた。
3年春、渡辺智男の剛速球に手も足も出ず、3三振を喫し、呆然とした表情。
最後の夏は、高知商の中山から中堅へ特大の本塁打。
決勝戦で2本塁打を放ち、対戦相手の宇部商、藤井を抜く大会最多本塁打記録を樹立、PL学園を優勝に導く。
同年ドラフトで意中の巨人から指名されず。
指名されたのは早大進学を表明していた桑田。
運命が二人の関係を弄んだ。
西武に入団後、いきなり打率304、新人で史上最多タイ(高卒では最多)の本塁打31本をマーク。
新人王に輝く。
王貞治の通算868本塁打の記録を破るのは清原だと誰もが期待、胸を躍らせた。
その一方で、対戦投手からの内角攻め、死球に苦しむことになり、ロッテ、平沼にバットを投げつけ、跳び蹴りを見舞う。
その後はコンスタントにシーズン30本以上の本塁打をマークするも、当初の期待感からするとやや伸び悩み、タイトルとは無縁、いつだったか、不調に喘ぎ、久しぶりの本塁打を放った後のインタビューで、「ファンの方の声援が、枯れかけた僕の心に水を与えてくれた」というコメントを残した。
それでも、本塁打ばかりでなくチームバッティングができる4番打者として活躍、西武の黄金期を支えた。
投手陣も彼が挙げた打点に救われた場面は数知れない。
オールスターや、日本シリーズなどの大舞台での勝負強さが印象に残った。
平和台球場でのオールスター、中日・与田の150km超の剛速球を弾き返した中堅への場外本塁打。
あれは一体どこまで飛んで行ったのか。
あの時、清原の時代が来た、開花したと信じて疑わなかったのだが・・・。
巨人にFA移籍。
移籍後も彼のポテンシャルからすると物足りない成績だったが、日本シリーズで松坂から本塁打を放つなど、ここぞという場面での存在感は際立っていた。
特に彼独特の右方向への本塁打は見ている者を魅了した。
持って生まれたスター性、恵まれた体躯、実績、誰もが彼に夢を見た。
打席に立つだけでわくわくした。
その反面、王貞治の本塁打記録を抜けるかなど周囲の期待が大き過ぎ、王さんの時代では考えられない程の厳しいマークに遭い、苦悩に喘いでいた。
わがまま、やんちゃ振りもあったかも知れないが、彼が多くの人を喜ばせてきた事に異論は無いだろう。
今回彼は、確かに道を踏み外したが、それよりも彼が皆に与えてきた喜び、感動を考えると、彼にはやはり「もう十分だよ。
本当にありがとう。
お疲れ様」という言葉しか浮かばない。
我々に、彼ほどの仕事ができているかといったら、間違いなく出来ていないだろう。
我々に彼を徹底的に責めることが出来るだろうか。
有名プロ野球選手が覚醒剤に手を染める前代未聞の事件ではあるものの、誰も味わったことの無い苦悩の中で、彼が必死に生きようとしていた事だけは間違いないと思う。