MT車が嫌いな大卒ホワイトカラー夫婦でゴールド大型免許マイカーは45年At車です 自動車社会の米国のGMがハイヒールを履いた女性でも楽に運転できるようにクラッチペダルをなくし、変速操作を自動化した ビューイックを発売したのが始まりです MT車が嫌いな大正生まれの親父は、アメリカAt車に憧れ、1957年に発売した富士重工の125cc、ラビットスクータのオートマ車を購入した、来れはクラッチペダルがない変速操作も不要で、足で変速操作不要で着物姿でも運転できるので銀座のホステスさんが通勤用に売れた、家族の載せて大変便利だった 1958年に600cc前輪駆動四輪車ミカサAt車が発売され、1960年にはそのトルクコンバータを搭載した東洋工業のマツダR360クーペ軽自動車が発売された 1959年にはトヨペットマスターラインがAt車で発売されると親父が購入した、ステーションワゴン、という形です そして東洋工業が、ルーチェー1500ccに米国ボルグワーナー製のトルクコンバータを搭載してAt車を発売したので、オヤジが新車で65万円で購入した、免許を取得したばかりなので練習運転をした 出足も良いし、2段自動変速ですが、エンジン音が静か、変速ショックが強いが、エンストしないのが魅力だった 当時はAt車はとても高価で、高級車クラス、2000ccクラウンしかなかった燃費も悪いのでとても庶民には買えない そのあと、マークⅡL、At車2000cc6気筒で燃費がリッター5km、日産プレシデント、4000cc8気筒At車でリッター1kmという信じられないほど燃費が悪かった 私はマツダのロータリー車のコスモクーペリミテッドAt車を購入した,これは、2ドアクーペでは珍しいパワーステアリング、オートマ車でした、燃費がリッター3kmでしたがまだガソリンが1リットル90円の時代です オイルショックでガソリンが1リットル175円に高騰したため、やむなく、オーバードライブがついた4速オートマ車なので燃費が良いコロナハードトップAt車に買い換えた、リッター7kmです 1970年、大阪万博と高度成長期となり、1200ccカローラ、サニーの小型車が米国で爆発的に売れて、米国ではAt車仕様と、5マイルバンパーが必須装備だった しかしマスキー法という排気ガス規制でAt車の燃費が極端に悪くなり、触媒マフラーと電子制御EFIというコンピユータ制御のAt車が安価に出てきて燃費が改善されAt車が運転が苦手な女性や初心者に買えるようになり普及した 渋滞道路でも運転が楽、坂道発進でエンストしない、パワーステアリングとともに楽に車庫入れができるからです ノークラッチ車、トルコン車として愛された 現在では新車販売台数の98%がAt車です、タクシーレンタカー、霊柩車、大型トラック、名古屋市営路線バス、自衛隊の10式戦車までAt車が普及している 7段変速のトラックを運転するとAt車のありがたみをしみじみと感じる