元巨人の淡河弘選手を知ってますか? 1967年 熱狂するネット裏のファン。
その中に、ひとりとり残されたような淡河(おごう)=巨人捕手=がいた。
味方のリードを喜ぶでもなく、ゲームの展開を見つめるでもない。
沈みきった目は、グラウンドの一点を動かなかった。
母の死ーそれは、あまりにも突然だった。
七日あさ、福岡県久留米市の自宅付近を歩いていたヤスノさんは、走ってきた自転車と衝突、後頭部を強打して近くの病院に収容されたが、意識を回復しないまま、十日午前二時九分息をひきとった。
知らせを聞いて淡河は七日よるとんで帰ったが、ひとこともことばをかわすことができなかった。
葬儀いっさいをすませ、この日の試合前帰京したが、ナインのなぐさめのことばに、ただうなだれていた。
「信じられないんですヨ。
まだ・・・ほんとうにまいった」淡河には、大きな悔いがある。
野球好きの母を東京に呼び、後楽園球場で自分のユニホーム姿を見せようという計画が、一度も実行できなかったことだ。
「東京へさそうたびに、おふくろはありがとう、そのうちにネと答えたっけ、あのとき、なぜオレは強引に東京へ引っぱってこなかったのだろう」高校時代(久留米商)わけあって淡河はヤスノさんと別居していた。
二年生のとき、ヤスノさんから一本のバットが送られてきた。
このバットを使うと、不思議にヒットが出た。
二年生の末に折れてしまったが、このバットで六割以上の打率をマークした。
「いつまで悲しんでいてもしょうがないのはわかっているんですけど・・・。
人生にこんなつらいことがあるとは知りませんでした」プロ入り六年目になるのに、公式戦に出場したのはたった十三試合。
あとはもっぱらブルペン捕手。
いま巨人のリードに声をあげて喜ぶネット裏で、かれが巨人の選手であることを知っているファンは何人いるだろうか。
絶え間なく爆発する三万八千人のエネルギーあ、いまはなき母を思うひとりの青年を、より孤独にうつしていた。
「でも・・・がんばらなくちゃあ・・。
あすからまたユニホームを着ますヨ」巨大なエネルギーに反発するような、かれの最後のことばが印象的だった。
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