1988年10月。日本初のインディー団体が誕生しました。パイオニア戦士。大仁田のFM Wに先駆ける事3ヶ月前。86年に全

1988年10月。日本初のインディー団体が誕生しました。パイオニア戦士。大仁田のFM Wに先駆ける事3ヶ月前。86年に全

1988年10月。日本初のインディー団体が誕生しました。パイオニア戦士。大仁田のFM Wに先駆ける事3ヶ月前。86年に全日本プロレスをリストラされた剛、菅原、高杉の 3人が旗揚げしました。当初 、前座だった剛達に何ができるやという声が大半でした。 私もそう思っていました。俺達の心意気を見てくれ…と言われてもなあと。 パイオニア戦士の旗揚げ戦は翌年にずれ込んで4月だったと思います。所属選手がたった3人なので間を持たせるために腕相撲をやったりして。メインは 剛対青柳だったか 。お粗末だったねえという声もありました 。そうこうしているうちに後から旗揚げしたFMWが支持を集め始めました。行動力のある大仁田と動かなかった剛の差が出ました。 パイオニア戦士は細々と活動して90年5月の新日本との後楽園ホールの対抗戦にこぎ着けました。テレビの生放送で高杉対健介が放送されました。 ずっと藤波戦を熱望していた剛は1年間腰の怪我で欠場していた藤波が復帰して2ヶ月目の11月博多スターレーン大会で遂に10 年振りの再戦にこぎ着けました。試合はお世辞にもいい内容ではなかったけど…(藤波のドラゴンネックブリーカーで負け) 12月のパイオニア戦士船橋大会で高杉のスーパーセブンは新日本Jr.のエースだったライガーと一騎討ちして敗れました。それなりきの試合でした。これをもって実質的にパイオニア戦士としての興行は幕を閉じました。旗揚げから2年、曲がりなりにもよく持ったもんだと思いました。高杉で1試合、スーパーセブンで1試合なんてやってたみたいだったから… あれから25年。 剛は亡くなり、菅原は実質引退状態で唯一高杉がウルトラセブンのマスクをかぶって細々とプロレスラー生活を続けています。 長くなりました。 プロレスファンの皆さん、パイオニア戦士の旗揚げ会見を知ったときにどう思いましたか? 私はどうせダメだろうなと思いながらも成功してほしい、頑張ってもらいたいと思いました。恥ずかしい話ですが少し燃えました( ^∀^) もしよろしければ回答よろしくお願いします!! 追記ー高杉がGスピリッツで82年の全日本プロレスはファンクス、ハンセン、マスカラスもいたけど俺が一番人気があったんじゃないの。子供とか皆にセブン、セブンと凄い人気だったとコメントしてたけど 実際の会場人気はどうでしたか?私は83年 10月の松本市で1回見たくらいだったけど 人気はそれなりでした。控え室前にいたので、子供や高校生が写真とか撮ってたけど 。ウルトラマンショーならぬウルトラセブンショーを見ているといった感じだったか 、冷やかし半分だったかも知れません。 後楽園ホールや蔵前国技館で見たことのある人にはセブン人気?どんな風に映りましたか?もし良ければ合わせて回答願います ( ^∀^)

パイオニア戦志(←「戦士」でなく)当時に、間近で剛と高杉に会ったことあります。 高杉のお腹の出具合に、ビビりました(写真で見るとそうでもないけど)。 忘れていたので調べてみたら、旗揚げ戦は、剛VS大仁田、高杉VS菅原の2カードだったようですね。 全日をリストラされた3人でしたが、「3人でもやってやる!」という意気込みがそれなりにあったので、ファンも温かい目で見ていましたね(同情心もあったかも)。 個人的に許せないのは、アポロ菅原の裏切りとも言える離脱です。北尾のトレーナーになって、ちゃっかり(北尾と一緒に)新日本正規軍入り。実力もプロレスセンスもないのに、さらにSWSまで合流。 「パイオニア戦志結成時の決意は何だったんだよ!」「3人しかいないのにそのうちの1人が抜けたら、剛と高杉が可哀想だろ」と思いました。 ちなみに、生で彼らの試合を見たことはありません。 ライガーVSセブンはネットで秘蔵VTRを見たところ、それなりに一進一退のいい試合をしたと思います。雑誌のインタビューではライガーがセブンを「技術も何もない。潰してやろうと思ったけど、それを通り越して悲しくなった…」と試合後こき下ろしていました(言ったもん勝ちですね)が、実際の試合を見ると、当時IWGPジュニア王者だったライガーに、十分健闘したと思いますよ。 「スーパーセブン」は「スーパータイガー」を意識したのでしょうが、なんか「商店」のような名前で変でしたね。

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1988年10月。日本初のインディー団体が誕生しました。パイオニア戦士。大仁田のFM Wに先駆ける事3ヶ月前。86年に全

1988年10月。日本初のインディー団体が誕生しました。パイオニア戦士。大仁田のFM Wに先駆ける事3ヶ月前。86年に全日本プロレスをリストラされた剛、菅原、高杉の 3人が旗揚げしました。当初 、前座だった剛達に何ができるやという声が大半でした。 私もそう思っていました。俺達の心意気を見てくれ…と言われてもなあと。 パイオニア戦士の旗揚げ戦は翌年にずれ込んで4月だったと思います。所属選手がたった3人なので間を持たせるために腕相撲をやったりして。メインは 剛対青柳だったか 。お粗末だったねえという声もありました 。そうこうしているうちに後から旗揚げしたFMWが支持を集め始めました。行動力のある大仁田と動かなかった剛の差が出ました。 パイオニア戦士は細々と活動して90年5月の新日本との後楽園ホールの対抗戦にこぎ着けました。テレビの生放送で高杉対健介が放送されました。 ずっと藤波戦を熱望していた剛は1年間腰の怪我で欠場していた藤波が復帰して2ヶ月目の11月博多スターレーン大会で遂に10 年振りの再戦にこぎ着けました。試合はお世辞にもいい内容ではなかったけど…(藤波のドラゴンネックブリーカーで負け) 12月のパイオニア戦士船橋大会で高杉のスーパーセブンは新日本Jr.のエースだったライガーと一騎討ちして敗れました。それなりきの試合でした。これをもって実質的にパイオニア戦士としての興行は幕を閉じました。旗揚げから2年、曲がりなりにもよく持ったもんだと思いました。高杉で1試合、スーパーセブンで1試合なんてやってたみたいだったから… あれから25年。 剛は亡くなり、菅原は実質引退状態で唯一高杉がウルトラセブンのマスクをかぶって細々とプロレスラー生活を続けています。 長くなりました。 プロレスファンの皆さん、パイオニア戦士の旗揚げ会見を知ったときにどう思いましたか? 私はどうせダメだろうなと思いながらも成功してほしい、頑張ってもらいたいと思いました。恥ずかしい話ですが少し燃えました( ^∀^) もしよろしければ回答よろしくお願いします!! 追記ー高杉がGスピリッツで82年の全日本プロレスはファンクス、ハンセン、マスカラスもいたけど俺が一番人気があったんじゃないの。子供とか皆にセブン、セブンと凄い人気だったとコメントしてたけど 実際の会場人気はどうでしたか?私は83年 10月の松本市で1回見たくらいだったけど 人気はそれなりでした。控え室前にいたので、子供や高校生が写真とか撮ってたけど 。ウルトラマンショーならぬウルトラセブンショーを見ているといった感じだったか 、冷やかし半分だったかも知れません。 後楽園ホールや蔵前国技館で見たことのある人にはセブン人気?どんな風に映りましたか?もし良ければ合わせて回答願います ( ^∀^)

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