元中日のニーマン選手を知ってますか? 1963年 西沢コーチはリーディング・ヒッターだった。二十七年のことだ。中日を引

元中日のニーマン選手を知ってますか? 1963年  西沢コーチはリーディング・ヒッターだった。二十七年のことだ。中日を引

元中日のニーマン選手を知ってますか? 1963年 西沢コーチはリーディング・ヒッターだった。二十七年のことだ。中日を引退してからは野球評論家になり、ことしからまたドラゴンズのユニホームを着た。こんどはコーチ。相変わらずスマートにユニホームを着こなし、一塁のコーチス・ボックスに立っている。この西沢コーチが変わったことをやりはじめた。ホームランを打った打者がホームへかえってきたとき調子をぬぐことだ。どのチームにもある習慣を、西沢コーチは帽子をとることで変化をつけた。長身だけにそれが目立つ。二回、ニーマンの3ランが出ると西沢コーチは専売特許のとおり帽子をとり、ていねいに握手をした。八回もまた同じニーマンのおかげで西沢コーチの帽子は忙しかった。西沢コーチはことし四十一歳だが、顔のツヤがいいし髪の毛もふつうだ。三十六歳というふれ込みのニーマンは髪の毛はあっても顔はシワだらけ。外人選手ぎらいで大和魂の持ち主の江藤はこういった。「三十六歳?ウソだ。四十はいっているよ」しかし二日間で三度も西沢コーチに帽子をとらせたニーマンの腕っぷしは四十歳には見えない。昨年中日にいたニューカムが高射砲のような打球を打ったのにくらべ、ニーマンのはほとんどがライナー。阪神は定年近いような顔のこのニーマンひとりに連敗したようなものだ。「陽気で、ものの考え方が合理的で愉快なおっさんだ。映画でいえばウィリアム・ホールデンがやるような役柄にピッタリだね」というのが江藤の印象。たしかにニーマンは陽気な男だ。報道陣のインタビューには「君らは日本語はしゃべれるが英語はダメ。ぼくは英語を話せても日本語はしゃべれない。いったいこれはどうしたものだろう」とオーバーなゼスチャアで両手を上げた。肩もすくめた。ニーマンの口グセは「きょうはいい日だった。しかしあしたはまたいい日とは限らない」という言葉。この日も同じことをいった。二日続けて同じことをいうあたりはセンスがないのかもしれない。そのかわり友情にはあつそうだ。市内昭和区に借りた自宅には一匹の小さなイヌがいる。名前はガス。ことしオリオールズからタイガースに売られたガス・トリアンドスと仲よしだったことからつけた。インタビューが終るとユニホームのまま荷造りをはじめた。幼稚園のこどもならはいってしまいそうな大きなバックの横にはサンフランシスコ・ジャイアンツと書いてあった。昨年までいた自分のチームのことも忘れられないらしい。したくにかなりの時間をかけ、スパイクにはわざわざ木型を入れてかたちを整えた。ユニホームのどろもたんねんに落とした。隣に西沢コーチがユニホームのズボンを長い足に合わせていた。西沢コーチは現役時代ユニホームがよごれるからとスライディングを一度もやらなかったというエピソードがある。ニーマンもなかなかのシャレ者とみた。

以前学習させていただいたので知ってます。 ケント州立大学出身。 1948年にシンシナティ・レッズと契約。 1951年9月14日にセントルイス・ブラウンズでメジャーデビューし、初打席初本塁打・その次の打席でも2打席連続本塁打を放つという華々しいデビューを飾った。 デビュー戦の2本塁打はメジャー初だった。 その後、デトロイト・タイガース、シカゴ・ホワイトソックス、ボルチモア・オリオールズ、セントルイス・カージナルス、クリーブランド・インディアンス、サンフランシスコ・ジャイアンツを経て、1963年に中日ドラゴンズに入団。 中距離打者で、シャープなバッティングが売り物だった。 よく、眼鏡をかけてプレーしていたり、国鉄スワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)の大エース金田正一をよく打ち込んでいたためか、子供たちから月光仮面と言われ親しまれた。 しかし、入団当時36歳という高齢から年齢的な衰えは隠せず、1シーズン限りで退団した。その年限りで引退。 その後、インディアンス、ドジャース、アスレチックス、ホワイトソックス、ヤンキースでスカウトを務めた。 1985年、カリフォルニア州コロナで58歳で死去。 NPB通算110試合出場 355打数 107安打 13本塁打 53打点 打率.301 MLB通算1113試合出場 3452打数 1018安打 125本塁打 544打点 打率.295 背番号 19 (1951年 - 1952年) 5 (1953年 - 1954年) 18 (1955年 - 1956年) 3 (1956年) 4 (1956年 - 1962年) 20 (1962年) 5 (1963年)

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元中日のニーマン選手を知ってますか? 1963年 西沢コーチはリーディング・ヒッターだった。二十七年のことだ。中日を引退してからは野球評論家になり、ことしからまたドラゴンズのユニホームを着た。こんどはコーチ。相変わらずスマートにユニホームを着こなし、一塁のコーチス・ボックスに立っている。この西沢コーチが変わったことをやりはじめた。ホームランを打った打者がホームへかえってきたとき調子をぬぐことだ。どのチームにもある習慣を、西沢コーチは帽子をとることで変化をつけた。長身だけにそれが目立つ。二回、ニーマンの3ランが出ると西沢コーチは専売特許のとおり帽子をとり、ていねいに握手をした。八回もまた同じニーマンのおかげで西沢コーチの帽子は忙しかった。西沢コーチはことし四十一歳だが、顔のツヤがいいし髪の毛もふつうだ。三十六歳というふれ込みのニーマンは髪の毛はあっても顔はシワだらけ。外人選手ぎらいで大和魂の持ち主の江藤はこういった。「三十六歳?ウソだ。四十はいっているよ」しかし二日間で三度も西沢コーチに帽子をとらせたニーマンの腕っぷしは四十歳には見えない。昨年中日にいたニューカムが高射砲のような打球を打ったのにくらべ、ニーマンのはほとんどがライナー。阪神は定年近いような顔のこのニーマンひとりに連敗したようなものだ。「陽気で、ものの考え方が合理的で愉快なおっさんだ。映画でいえばウィリアム・ホールデンがやるような役柄にピッタリだね」というのが江藤の印象。たしかにニーマンは陽気な男だ。報道陣のインタビューには「君らは日本語はしゃべれるが英語はダメ。ぼくは英語を話せても日本語はしゃべれない。いったいこれはどうしたものだろう」とオーバーなゼスチャアで両手を上げた。肩もすくめた。ニーマンの口グセは「きょうはいい日だった。しかしあしたはまたいい日とは限らない」という言葉。この日も同じことをいった。二日続けて同じことをいうあたりはセンスがないのかもしれない。そのかわり友情にはあつそうだ。市内昭和区に借りた自宅には一匹の小さなイヌがいる。名前はガス。ことしオリオールズからタイガースに売られたガス・トリアンドスと仲よしだったことからつけた。インタビューが終るとユニホームのまま荷造りをはじめた。幼稚園のこどもならはいってしまいそうな大きなバックの横にはサンフランシスコ・ジャイアンツと書いてあった。昨年までいた自分のチームのことも忘れられないらしい。したくにかなりの時間をかけ、スパイクにはわざわざ木型を入れてかたちを整えた。ユニホームのどろもたんねんに落とした。隣に西沢コーチがユニホームのズボンを長い足に合わせていた。西沢コーチは現役時代ユニホームがよごれるからとスライディングを一度もやらなかったというエピソードがある。ニーマンもなかなかのシャレ者とみた。

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