元中日の板東英二投手を知ってますか? 1961年 マウンドの板東にナインから何度も声がかかった。「がんばれ英二」「とび出せ英二」そのたびに板東は童顔をほころばせて「はい」と答えた。その声があまり大きいのでスタンドは何度も笑いにつつまれた。試合が終わっても板東はあいそがいい。ベンチの上からぶらさがったたくさんの手にいちいち握手して持ち前のサービス精神を発揮。しかしピッチングの話になると気乗りうす。「あかんですよ。あんなピッチングじゃあ申しわけない。コントロールが悪かったですものね。それと前半とばしすぎです。カミナリ族みたいに早くからとび出したのが悪かった。だから後半随分ランナーを出したでしょう」ここまでいうと、もう板東はバスの方へ向かいはじめた。そのあとを報道陣が追いかけたが、板東はスイスイ歩く最後に「どうもスミマセン」と林家三平の専売特許でおどけ、バスにピョンととび乗った。前夜とその前の晩、板東は権藤と二人で合宿を出た。といっても無断外泊ではない。球団公認の外泊だ。というのは合宿が暑いので、先発投手にゆっくり寝てもらおうと球団が特別なはからいで市内八事の旅館にとってある冷房つきの部屋に泊まったわけだ。「なにしろ天皇陛下が泊まった旅館ですからね。最高ですよ」これは一緒に泊まった権藤の説明だが、板東も「二日間ぐっすり眠らせてもらった。おかげでランナーを出しながらも楽に投げられた」といった。なんでもその旅館は一泊五千円といううわさ。「それで負けては、それこそどうもスイマセンくらいでは追いつきませんよ」板東はここでまた三平の口マネをした。どうやら板東は大へんな三平ファンらしい。