元ヤクルトの福永栄助投手を知ってますか? 1972年 バッティング投手から社長見習いへと、みごとな変身をとげた人がいる。今季いっぱい、ヤクルトで打撃練習の投手をしていた福永栄助さん(24)だ。故郷の熊本に帰り、実家の商売である材木会社を継ぐことになったもの。新天地で力いっぱい仕事をしている福永さんは、野球への未練もさっぱり捨て去った。他人は、これを華麗な転身という。だが、こんな幸運にめぐまれた人はそうざらにはいない。「練習台だった四年間のムダを取り返したい」という福永さんは意欲的に毎日を送っている。ゴルフに明け暮れる華やかな陰にあるもうひとつのシーズンオフの姿がこれである。 熊本県の玉名郡長州町。東京都違って、排気ガスも騒々しい車のクラクションもない人口一万四千人の小さな町。そのほぼ中心にある「福永木材店」に元バッティング投手はいた。社長は父親、福永はそのあとつぎだ。「野球?ぼくがやっていたのは野球じゃないんですヨ。練習台というやつ。まあ、ぼくらみたいな男がなくちゃ成り立たないとは思うけど、いま考えると、ムダな四年間でしたねえ」四十四年、西鉄(現太平洋クラブ)に入団。中西監督(現ヤクルトヘッドコーチ)に「カーブの切れは抜群。将来はエースだ」とタイコ判を押された。が、福永のたどりついた先はバッティング投手。一昨年暮れにはヤクルトに移ったが、ここでもローテーションにははいれなかった。「野球の話はもうやめましょう。四年間の空白を一日も早くとりもどさなくてはいけないんですヨ。野地板(屋根の下張り板)、貫(柱と柱との間をつなげる小柱)など、材木の種類も覚えなきゃならないし、ソロバンもぼつぼつ練習しとかなきゃあ。いま必死ですヨ」球界で下積みを続けていたせいか、桧、杉など材木のスターよりも、野地板や貫ら、裏方さんの名前のほうに愛着がわくという。「貫にしても、大貫、中貫、小貫ってあるんですヨ。家が違ってしまえば、こうしたやつはかくれてみえないが、これがないと出来上がらない。どんな所にも、スターと裏方は同居しているんですねエ」きびしい生存競争に負けたとはいえ、こうしたところに気がつくあたり、社長見習いの第一歩はまず合格点。従業員の将来の社長評もすこぶるいい。「野球は四年前だったが、この商売は一生ですからね。オヤジに代わってもっともっと稼がなきゃあ」社長見習いは、トラックの助手に早替り。注文を受けた材木を満載して威勢よくとび出していった。ことし球界を追われた同期生は多勢いる。が、福永のように再出発に好スタートをきった男は何人いるだろうか・・・。「そうですよ。大量点を背負ってマウンドに上がるようなものですからね、時には苦しかったきょ年までを思い出して・・・」野球話はいやといいながら、社長見習いの抱負には、やはり元バッティング投手が生きていた。