元西鉄のバーマ選手を知ってますか? 1966年 ネット裏で二男ジョン君が大声をあげた。久しぶりに見るパパだ。昨年暮れ、小児マヒ治療のため京都の聖ヨセフ整肢園に入院、三度にわたる大手術を乗りこえて見違えるように元気になった。車イスはスタンドのすみにめだたないように置いて、ママ(マーフィーさん)となつかしそうにスタンドにすわった。しかもこの日はジョン君の九回目の誕生日だ。パーマがグラウンドでジョン君のことにふれたのは昨年の終盤近く、東京球場で猛打賞をもらったときだった。「ジョンの病気は重い。いけないことだがそれが気になって、バッティングに打ち込めなかった。昨夜第一回の手術が成功した。ジョンはいつもぼくの成績のことを気にしている。そのためにもなんとしても打たなければ・・・」そして半年がすぎた。野球が大好きなジョン君はいつの間にか関西弁をおぼえてしまった。ラジオでもテレビでも「ライオンズのゲームをやってえへんので、さびしくてたまらん」毎日だった。初めてジョン君のいる京都での試合。マーフィー夫人、長女ジュディちゃん(三つ)もかけつけた。病院から特別の許可をもらってホテルでいっしょに眠った。ジョン君は毎日勉強と足を強くするためのトレーニングをつづけれければならない。「きょうはダディ―と一時間半もトレーニングしたんや」流ちょうな関西弁でジョン君はひとみを輝かせた。そして1ホーマー、2二塁打を含む四打数三安打五打点。バーマは今シーズン一度も打撃三十傑から落ちたことがない。ロイ、アギー、ウィルソンとつねに西鉄のほかの外人選手の陰にかくれてパーマはじみな存在だった。だが堅実な守備はくろうとをうならせるし、ファイン・プレーをバーマほど巧みにこなす選手もいない。打った球の種類とコースを聞かれたとき笑った。「どうして日本人はコースと球種にこだわるんだろう」といつもいう。この日も「バッティングはタイミングだ」と強調した。「スイングは去年と少しも変わっていない。ことしいいのはバットの出るタイミングがいいからなのだ。高低、コースを問わずうまくミートしているんだ」ベンチ前でジョン君にまた大きく手を振った。マーフィー夫人も答える。「ジム(バーマ)も頭の中はジョンの病気のことでいっぱいだった。でももう心配していない。きっとことしは打ちつづけます」夫妻はファンに囲まれながら肩を並べてジョン君の車を押した。