匿名さん
元阪神の若生智男投手を知ってますか? 1964年 目をこすり、カメラのフラッシュに顔をそむけた。
光りが目に痛いからではない。
涙がこらえきれなくて、若生は低い声を出した。
「話をするのはあしたにしてくれへんか。
胸がいっぱいで目の前がかすんでしまって、なにをいうていいのかわからんのだ」逃げるように走ってバスに乗ると、大きなバスタオルに顔をおしつけて静かに泣いた。
バスのなかで、代わってしゃべり続けたのは藤本監督だった。
「オレは若生が必ず勝つと思っとった。
ゆうべあした投げいというたとき、オレは何点とられても最後まで代えないから思い切ってやってこいというたんだ。
なあスギさん」ゲームの前夜杉下コーチはなにげない顔で若生の部屋にはいっていって一時間半も長話をした。
大毎時代の一昨年若生が最高の15勝をマークしたとき、初白星は五月なかばだったこととマウンドに立ったら人のよさを忘れて鬼のような気持ちにならなければいけないのだ、ということも話して聞かせた。
頭をすっぽり包んだまま若生はバスをおりた。
「いままでは出るたびに打たれた。
投げても投げてもいい結果が出ない。
もう勝てないのかと思ったこともあった。
それにトレードで騒がれて阪神に移ってきながら勝利投手になれないきまずさ、それだけなんとかしなければと必死だった」勝利の喜びを味わったのは昨年の五月三日(西鉄戦)以来一年ぶり。
完封は三十五年十月二日の対東映戦(当時大毎)以来四年ぶりだ。
「マウンドからおりてきてみんなに拍手されたり手を握ってもらったろ。
わけのわからんほど感激しちゃって声がノドをとおらなかった。
ヤマさん(山内)が甲子園で初めてホームランを打って泣いたときと同じ気持ちじゃないかな」この夜西宮市甲子園の自宅では結婚前東京オリオンズのウグイス嬢だった美知子夫人が長女の妙子ちゃん(一つ)と初勝利をやはり泣きながら喜んでいた。