元東映の永易将之投手を知ってますか? 1965年 大阪工大付属高からノンプロ近畿電電にはいった永易には悲しい思い出ばかりだ。高校時代は出ると負け。優勝の味を一度も味わったこともないし、多勢の人の前で投げたこともなかった。ノンプロでは関西のエースにまでのしあがったが、三十八年の都市対抗では一回戦で優勝候補日本ビールと対戦。延長二十二回まで無失点と力投したが、惜しくも二十三回にサヨナラ・ホーマー。しかしこのピッチングをみて、東映をはじめ、阪急、西鉄がわれ先にと永易の自宅である大阪府守口市京阪通りへかけ込んだものだ。プロ入り二年目。五試合目でやっと初勝利をもらった永易はソワソワしていた。「ぼくね、うれしくて。だけど言葉にあらわそうとするとになにがなんだかわからなくなる」ウイニング・ボールを毒島から渡されてもポカン。「プロにはいってから一番長いイニングでしょう。投げ終わったら肩の力が急に抜けてしまった」次から次と持ち込まれる賞品を受け取るのもウワのそら。「ほしい人は持っていっていいですよ」中身も見ようとせず初めてもらった商品をチームメイトにみんなやってしまった。まじめな反面ユーモリストとしてもチーム一。「昭和十七年一月一日生まれだってね」「ウソではないんですよ。おかあさんが朝六時何分かに生まれて、雑煮も食べられない、といっていましたからね」まじめな顔でこたえていた。1㍍75、73㌔、右投右打。